、ほとんど同時に終ったらしく、一緒に廊下へ出て行った。僕は、事務所の婆さんの机の前に立って、簡単な質問を受けた。婆さんは、椅子《いす》に浅くちょこんと腰をおろして、机の上の写真と、僕の顔を、ちらと見較べ、
「おいくつですか?」と言った。ちょっと侮辱を感じたので、
「履歴書に書いてなかった?」と反問したら、急に狼狽《ろうばい》の様子で、
「ええ、でも、――」と言って、机の上にひろげてあった僕の履歴書を前こごみになって調べた。近眼らしい。
「十七です。」と言ったら、ほっとしたように顔を挙げて、
「父兄の承諾は、たしかですね?」
 この質問も不愉快だった。
「もちろんです。」と少し怒って答えた。試験官でもないのに、要らない事ばかり言いやがる。こんな機会をとらえて、こっそり試験官の真似《まね》をして、ちょっと威張ってみたかったのだろう。
「では、どうぞ。」
 隣室に通された。がやがや騒いでいたのに、僕がはいって行ったら、ぴたりと話をやめて、五人の男が一斉《いっせい》に顔を挙げて僕を見た。
 五人の男が一列に、こちら向きに並んで腰かけている。テエブルは三つ。みんな写真で見覚えのある顔だった。まんなかに坐っている太った男は、最近めっきり流行して来た劇作家兼演出家の、横沢太郎氏にちがいない。あとの四人は、俳優らしい。入口でもじもじしていたら、横沢氏は大きい声で、
「こっちへ来いよ。」と下品な口調で言って、「こんどは多少、優秀かな?」
 他の試験官たちは、にやりと笑った。部屋全体の雰囲気《ふんいき》が、不潔で下等な感じであった。
「学校は、どこだ!」そんなに威張らなくてもいいじゃないか。
「R大です。」
「としは、なんぼ?」いやになるね。
「十七です。」
「お父さんのゆるしを得たか。」まるで罪人あつかいだ。むかっとして来た。
「お父さんはいませんよ。」
「なくなられたのですか?」俳優の上杉新介《うえすぎしんすけ》氏らしい人が、傍《そば》から、とりなし顔にやさしく僕に尋ねる。
「承諾書に書いてあった筈《はず》です。」仏頂面《ぶっちょうづら》して答えてやった。これが試験か? あきれるばかりだ。
「気骨|稜々《りょうりょう》だね。」横沢氏は、にやにや笑って、「見どころあり、かね?」
「演技部ですか、文芸部ですか?」上杉氏が鉛筆でご自分の顎を軽く叩《たた》きながら尋ねる。
「なんですか?」よくわからなかった。
「役者になるのか。」横沢氏は、また馬鹿声を出して、「脚本家になるのか。どっちだ!」
「役者です。」即座に答えた。
「しからば、たずねる。」本気か冗談か、わけがわからない。どうして横沢氏は、こんなに柄《がら》が悪いんだろう。人相だってよくないし、服装だって、和服の着流しで、だらしがない。日本で有数の文化的な劇団「鴎座」の、これが指導者なのかと思うと、がっかりする。きっと、お酒ばかり飲んで、ちっとも勉強していないのだろう。下唇《したくちびる》をぐっと突き出して、しばらく考えてから、やおら御質問。
「役者の、使命は、何か!」愚問なり。おどろいた。あやうく失笑しかけた。まるで、でたらめの質問である。質問者の頭のからっぽなことを、あますところなく露呈している。てんで、答えようがないのである。
「それは、人間がどんな使命を持って生れたか、というような質問と同じ事で、まことしやかな、いつわりの返答は、いくらでも言えるのですが、僕は、その使命は、まだわかりませんと答えたいのです。」
「妙な事を言うね。」横沢氏は、鈍感な人である。軽い口調でそう言って、シガレットケースから煙草《たばこ》を取り出し、一本口にくわえて、「マッチないか?」と、隣の上杉氏からマッチを借り、煙草に点火してから、「役者の使命はね、外に向っては民衆の教化、内に於《おい》ては集団生活の模範的実践。そうじゃないかね。」
 僕は、あきれた。落第したほうが、むしろ名誉だと思った。
「それは、役者に限らず、教化団体の人なら誰でも心掛けていなければならぬ事で、だから僕がさっき言ったように、そんな立派そうな抽象的な言葉は、本当に、いくらでも言えるんです。そうしてそれは、みんなうそです。」
「そうかね。」横沢氏は、けろりとしている。あまりの無神経に、僕は横沢氏を、ちょっと好きになったくらいであった。「そういう考えかたも、面白《おもしろ》いね。」滅茶滅茶だ。
「朗読をお願いしましょう。」上杉氏は、ちょっと上品に気取って言った。その態度には、なんだか猫《ねこ》のような、陰性の敵意が含まれていた。横沢氏よりも、こっちが手剛《てごわ》い。そんな気がした。
「何をお願いしましょうか。」上杉氏は、くそ叮嚀《ていねい》な口調で、横沢氏に尋ねるのである。「このひとは、程度が高いそうですから。」いやな言いかたを、しやがる! 卑
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