うろうろしていて、弾を拾ったり、標的の位置を直したりするのだが、いつもはそんな目ざわりなんて思った事は無かった。しかしその時は、雀の標的のすぐ傍に立って笑っているツネちゃんが、ひどく目ざわりで危なかしくていけなかった。
「どけ、どけ。」と僕は無理に笑って、重ねて言った。
「はい、はい。」
ツネちゃんは笑いながら一尺ばかりわきへ寄る。
僕はねらいをつける。引金をひく。ブスと発射。
カッタンカッタン。
当らないのだ。
「どうしたの?」
とまた言う。
僕は、へんに熱くなって来た。黙って三発目の弾をこめてねらう。ブスと発射。
カッタンカッタン。
当らない。
「どうしたの?」
さらに四発目。当らない。
「ほんとうに、どうしたの?」と言って、ツネちゃんはしゃがんだ。
僕は答えず五発目の弾をこめる。しゃがんでいるツネちゃんのモンペイの丸い膝《ひざ》がこんもりしている。この野郎。もう処女ではないんだ。
いきなりブスとその膝を撃った。
「あ。」と言って、前に伏した。それからすぐに顔を挙げて、
「雀じゃないわよ。」と言った。
僕はそれを聞いて、全身に冷水をあびせられたような気がして立ちすくんだ。悪かった悪かった、悪かった、悪かった、千べん言っても追っつかないような気がした。雀じゃないわよ、という無邪気な一言が、どのような烈しい抗議よりも鋭く痛くこたえた。ツネちゃんは顔をしかめ、しゃがんだまま膝小僧をおさえ、うむと呻《うめ》いた。おさえた手の指の間から、血が流れ出て来た。僕は空気銃をほうり出し、裏から廻って店の奥にはいり、
「ごめんごめん、ごめん。どうした?」
どうしたもこうしたも無い。鉛の弾が膝がしらに当って、よほどの怪我《けが》をしたのにきまっている。立てない様子だ。僕はちょっと躊躇《ちゅうちょ》したが、思い切ってうしろから抱いて立たせた。ツネちゃんは、あいたたと言って膝頭から手を放し、僕のほうに顔をねじ向け、「どうするの?」と小声で言って、悲しそうに笑った。
「療養所で手当をしてもらおう。」と言った僕の声は嗄《しゃが》れていた。
ツネちゃんは歩けない様子であった。僕は自分の左脇にかかえるようにしてツネちゃんを療養所に連れ込み、医務室へ行った。出血の多い割に、傷はわずかなものだった。医者は膝頭に突きささっている鉛の弾を簡単にピンセットで撮《つま》み出して、小さい傷口を消毒し繃帯《ほうたい》した。娘の怪我を聞いて父親の小使いが医務室に飛び込んで来た。僕は卑屈なあいそ笑いを浮べて、
「やあ、どうも。」と言った。僕は、自分が本当に悪いと思っていると尚《なお》さら、おわびの言葉が言えなくなるたちなのだ。
その時の父親の眼つきを、僕は忘れる事が出来ない。ふだんは気の弱そうな愛嬌《あいきょう》のいい人であったが、その時、僕の顔をちらと見た眼つきは、憎悪と言おうか、敵意と言おうか、何とも言えない実におそろしい光りを帯びていた。僕は、ぎょっとした。
ツネちゃんの怪我はすぐ治って、この事件は、べつだん療養所の問題になる事もなく、まあ二三の仲間にひやかされたくらいの事ですんだのであるが、しかし、僕の思想は、その日の出来事で一変せられたと言ってよい。僕はその日から、なんとしても、もう戦争はいやになった。人の皮膚に少しでも傷をつけるのがいやになった。人間は雀じゃないんだ。そうして、わが子を傷つけられた親の、あの怒りの眼つき。戦争は、君、たしかに悪いものだ。
僕はべつにサジストではない。その傾向は僕には無かった。しかし、あの日に、人を傷つけた。それはきっと、戦地の宿酔《ふつかよい》にちがいないのだ。僕は戦地に於いて、敵兵を傷つけた。しかし、僕は、やはり自己喪失をしていたのであろうか、それに就いての反省は無かった。戦争を否定する気は起らなかった。けれども、殺戮《さつりく》の宿酔を内地まで持って来て、わずかにその片鱗《へんりん》をあらわしかけた時、それがどんなに悪質のものであったか、イヤになるほどはっきり知らされた。妙なものだよ。やはり、内地では生活の密度が濃いからであろうか。日本人というのは、外国へ行くと足が浮いて、その生活が空転するという宿命を持っているのであろうか。内地にいる時と、外地にいる時と、自分ながら、まるでもう人が違っているような気がして、われとわが股《もも》を抓《つね》ってみたくなるような思いだ。
慶四郎君の告白の終りかけた時、細君がお銚子《ちょうし》のおかわりを持って来て無言で私たちに一ぱいずつお酌をして静かに立ち去る。そのうしろ姿をぼんやり見送り、私は愕然《がくぜん》とした。片足をひきずり気味にして歩いている。
「ツネちゃんじゃないか。」
その細君は、津軽|訛《なま》りの無い純粋の東京言葉を遣《つか》っていた。酔いのせいもあって、私は奇妙な錯覚を起したのである。ツネちゃんは、色白で大柄なひとだったそうではないか。
「馬鹿、何を言ってやがる。足か。きのう木炭の配給を取りに一里も歩いて足に豆が出来たんだとか言っている。」
底本:「太宰治全集8」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年4月25日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年2月1日公開
2005年11月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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