、そんなとしでもないじゃないか。本当に僕はその時、ぼんやり門の傍に立っていただけなんだ。けれども、僕は前からツネちゃんをきらいじゃなかったし、それにどうもあの色男との噂《うわさ》が気になっていたのも事実だったから、全くツネちゃんの射的場を度外視して、門のところに立っていたと言ってもやっぱり嘘になるかも知れないね。人間の心というのは、君たちの書く小説みたいに、あんなにはっきり定っているものでなく、実際はもっとぼんやりしているものじゃないのか。殊《こと》にも男と女の間の気持なんてその場その場の何かのきっかけで、意外な事になったりなんかするもんだからね。ひやかしちゃいけない。君にだって経験があるだろう。好きもきらいも、たわいないものだよ。とにかく僕は、ツネちゃんに声をかけられて、それから、のこのこツネちゃんの射的場に行ったのだ。
「ツネちゃん、疎開しないのか。」
「あなたたちと一緒よ。死んだって焼けたって、かまやしないじゃないの。」
「すごいものだね。」
 と僕は言うより他は無かった。こりゃてっきり、ツネちゃんもあの関西弁と出来ちゃった、やぶれかぶれの大情熱だと僕は内心ひそかに断定を下し、妙に淋《さび》しかった。
「雀《すずめ》でも撃って見ようかな。」と言って僕は空気銃を取りあげた。
 その射的場で、一ばんむずかしいのは、この雀撃ちという事になっている。ブリキ細工の雀が時計の振子のように左右に動いているのを、小さい鉛《なまり》の弾で撃つのだ。尻尾《しっぽ》に当っても、胴に当っても落ちない。頭の口嘴《くちばし》に近いところを撃たなければ絶対に落ちない。しかし僕は、空気銃の癖を呑み込んでからは、たいてい最初の一発で、これをしとめる事が出来るようになっていた。
 ツネちゃんが箱のねじを巻くと、雀は、カッタンカッタンと左右に動きはじめる。僕はねらいをつけた。引金をひく。
 カッタンカッタン。
 当らないのだ。
「どうしたの?」とツネちゃんは、僕がたいてい最初の一発でしとめるのを知っているので、不審そうな顔をしてそう言う。
「どいてくれ、お前が目ざわりでいけないのだ。」と僕は下手《へた》な冗談を言う。どうも東北人は、こんな時、猿も筆のあやまりなんて、おどけた軽い応酬が出来なくて困るよ。
 事実、どうにも目ざわりだったのだ。ツネちゃんは僕たちが射撃をはじめると、たいてい標的のあたりにうろうろしていて、弾を拾ったり、標的の位置を直したりするのだが、いつもはそんな目ざわりなんて思った事は無かった。しかしその時は、雀の標的のすぐ傍に立って笑っているツネちゃんが、ひどく目ざわりで危なかしくていけなかった。
「どけ、どけ。」と僕は無理に笑って、重ねて言った。
「はい、はい。」
 ツネちゃんは笑いながら一尺ばかりわきへ寄る。
 僕はねらいをつける。引金をひく。ブスと発射。
 カッタンカッタン。
 当らないのだ。
「どうしたの?」
 とまた言う。
 僕は、へんに熱くなって来た。黙って三発目の弾をこめてねらう。ブスと発射。
 カッタンカッタン。
 当らない。
「どうしたの?」
 さらに四発目。当らない。
「ほんとうに、どうしたの?」と言って、ツネちゃんはしゃがんだ。
 僕は答えず五発目の弾をこめる。しゃがんでいるツネちゃんのモンペイの丸い膝《ひざ》がこんもりしている。この野郎。もう処女ではないんだ。
 いきなりブスとその膝を撃った。
「あ。」と言って、前に伏した。それからすぐに顔を挙げて、
「雀じゃないわよ。」と言った。
 僕はそれを聞いて、全身に冷水をあびせられたような気がして立ちすくんだ。悪かった悪かった、悪かった、悪かった、千べん言っても追っつかないような気がした。雀じゃないわよ、という無邪気な一言が、どのような烈しい抗議よりも鋭く痛くこたえた。ツネちゃんは顔をしかめ、しゃがんだまま膝小僧をおさえ、うむと呻《うめ》いた。おさえた手の指の間から、血が流れ出て来た。僕は空気銃をほうり出し、裏から廻って店の奥にはいり、
「ごめんごめん、ごめん。どうした?」
 どうしたもこうしたも無い。鉛の弾が膝がしらに当って、よほどの怪我《けが》をしたのにきまっている。立てない様子だ。僕はちょっと躊躇《ちゅうちょ》したが、思い切ってうしろから抱いて立たせた。ツネちゃんは、あいたたと言って膝頭から手を放し、僕のほうに顔をねじ向け、「どうするの?」と小声で言って、悲しそうに笑った。
「療養所で手当をしてもらおう。」と言った僕の声は嗄《しゃが》れていた。
 ツネちゃんは歩けない様子であった。僕は自分の左脇にかかえるようにしてツネちゃんを療養所に連れ込み、医務室へ行った。出血の多い割に、傷はわずかなものだった。医者は膝頭に突きささっている鉛の弾を簡単にピンセットで撮《つま》み出して、
前へ 次へ
全4ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング