小さい傷口を消毒し繃帯《ほうたい》した。娘の怪我を聞いて父親の小使いが医務室に飛び込んで来た。僕は卑屈なあいそ笑いを浮べて、
「やあ、どうも。」と言った。僕は、自分が本当に悪いと思っていると尚《なお》さら、おわびの言葉が言えなくなるたちなのだ。
 その時の父親の眼つきを、僕は忘れる事が出来ない。ふだんは気の弱そうな愛嬌《あいきょう》のいい人であったが、その時、僕の顔をちらと見た眼つきは、憎悪と言おうか、敵意と言おうか、何とも言えない実におそろしい光りを帯びていた。僕は、ぎょっとした。
 ツネちゃんの怪我はすぐ治って、この事件は、べつだん療養所の問題になる事もなく、まあ二三の仲間にひやかされたくらいの事ですんだのであるが、しかし、僕の思想は、その日の出来事で一変せられたと言ってよい。僕はその日から、なんとしても、もう戦争はいやになった。人の皮膚に少しでも傷をつけるのがいやになった。人間は雀じゃないんだ。そうして、わが子を傷つけられた親の、あの怒りの眼つき。戦争は、君、たしかに悪いものだ。
 僕はべつにサジストではない。その傾向は僕には無かった。しかし、あの日に、人を傷つけた。それはきっと、戦地の宿酔《ふつかよい》にちがいないのだ。僕は戦地に於いて、敵兵を傷つけた。しかし、僕は、やはり自己喪失をしていたのであろうか、それに就いての反省は無かった。戦争を否定する気は起らなかった。けれども、殺戮《さつりく》の宿酔を内地まで持って来て、わずかにその片鱗《へんりん》をあらわしかけた時、それがどんなに悪質のものであったか、イヤになるほどはっきり知らされた。妙なものだよ。やはり、内地では生活の密度が濃いからであろうか。日本人というのは、外国へ行くと足が浮いて、その生活が空転するという宿命を持っているのであろうか。内地にいる時と、外地にいる時と、自分ながら、まるでもう人が違っているような気がして、われとわが股《もも》を抓《つね》ってみたくなるような思いだ。

 慶四郎君の告白の終りかけた時、細君がお銚子《ちょうし》のおかわりを持って来て無言で私たちに一ぱいずつお酌をして静かに立ち去る。そのうしろ姿をぼんやり見送り、私は愕然《がくぜん》とした。片足をひきずり気味にして歩いている。
「ツネちゃんじゃないか。」
 その細君は、津軽|訛《なま》りの無い純粋の東京言葉を遣《つか》っていた。酔い
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