たしかに、いたのだ。たしかに。まだ、いるかも知れない。」
 家内は、私が、畳のきしむほどに、烈しく震え出したのを見て、かえって自分のほうは落ちつきを得た様子で、くすくす無理に笑い出し、
「かえりましたよ。あたし知っている。あなたが、ばかッと、どろぼうを大声でお叱りになったでしょう? あのとき、あたし眼をさましたの。耳をすまして、あなたのお話を聞いていると、どうも相手は、どろぼうらしいのでしょう? あたし、だめだ、と思ったの。死んだようになって、俯伏《うつぶせ》のままじっとしていたら、どろぼうの足音が、のしのし聞えて、部屋から出て行くらしいので、ほっとしたの。可笑《おか》しなどろぼうね。ちゃんと雨戸まで、しめて行ったのね。がたぴし、あの雨戸をしめるのに、苦労していたらしいわ。」
 見ると、なるほど、雨戸はちゃんとしめてある。すると、私は、誰もいない真暗い部屋で、ひとりでいい気になって、ながながと説教していたものとみえる。ばかげている。どろぼうが、すぐにこそこそ立ち去ったのも、そうして、ごていねいに、雨戸までしめていって呉れたのも、ちっとも気づかず、夢中で独《ひと》りわめいていたものらしい。
「つまらないどろぼうだね。」私は、仕方なしに笑った。「徹頭徹尾のリアリストだ。おい、お金みんな持って行ったらしいぞ。」
「お金なんか、」家内は、いつでも私にはらはらさせるくらい、お金に無頓着である。芸術家の家内というものは、そうしなければいけないと愚直に思いこんで努めているふしが在る。「それよりも、お怪我《けが》が無くて、なによりでした。ほんとうに、」と言いかけて、肩を落して溜息《ためいき》をつき、それから、顔を伏せたまま、「あんな、どろぼうなんかに、文学を説いたりなさること、およしになったら、いかがでしょうか。私は、あなたのところへお嫁に来るとき、親戚《しんせき》の婦人雑誌の記者をしている者が、私の母のところに、あなたのとても悪い評判を、手紙で知らせて寄こして、そのときは、私たち、あなたともお逢いしたあとのことで、母は、あなたを信じて居りましたし、その親戚の記者も、あなたと直接お逢いしたことは無く、ただ噂《うわさ》だけを信じて、私たちに忠告して寄こしたのですし、本人に逢った印象が第一だ、と私も思いまして、私は、いまは、ちっともあなたのことを疑っていないのですけれども、あんな、どろ
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