っている。君は、なぜ僕の家を選んだか。僕は、知っている。僕の家は、まあ、若夫婦二人きりの、謂わば、まあ、新家庭だ。君は、そこのところに眼をつけた。若夫婦は、のんびりしていて、何かにつけて、しまりがない。そこに眼をつけた。と言えば上品だが、君、そうではなかろう? それだけではなかろう? どうだい? 君は、まだ、三十一だ。純粋に盗むことだけの目的で、それは、はいるのだろうが、けれども、そこに何か景品的なたのしみも、こっそりあてにしてはいないか。同じことなら、若夫婦の寝所にしのびこんでみたい、そうして、君、ああ、いやしい! きたない! 恥ずかしくないか。君は、そのような興味も、あって、僕の家を襲った。たしかに、そうだ。君は、まだ三十一だ。女のさかりだ。卑劣だねえ、君は。ところがお生憎《あいにく》さま、僕のところは、このようにちゃんと寝室を別にしている。神聖なものだ。しどけない有様は、どこにも無い。ひっそり閑としたものだ。ここにも、君の失敗がある。つつしむべきは、好色の念だね。君なんかに、のぞき見されて、たまるもんか。君は、ときどき上流の家庭にも、しのび込んで、そうして、そこの大奥様の財布《さいふ》なんか盗んで家へ持ってかえり、そのお財布の中に、奇妙な極彩色の絵なんか在る場合、亭主とふたりで、大いに笑って得意らしいが、何もあれは、大奥様の好色の念から、その絵をいれて置くのじゃないのだぜ。あれは、ね、教えてあげる。つまり、そんな絵がはいっていると、その財布を落さないように、しじゅう気をつけるようになるし、すべての注意力をお財布に集中させて置くようにとの、つつましく厳粛な心から、あの絵を一枚入れて置くのだ。決して、浮いた、みだらな心からでは無いのだ。財布にあれを入れて置くと、お金がなくならないし、箪笥《たんす》にあれを入れて置くと、着物に不自由しない、というが、それは、ほんとうなんだ。そこに注意力を集中させるためなんだ。ずいぶん恥ずかしいもんだから、その財布にも、箪笥にも、なるべく手をふれないよう、無闇《むやみ》に開閉しないように、そっと大事に、いたわるようになるのだ。いじらしいじゃないか。ずいぶん、つましい奥ゆかしいことなんだ。君は、それから、子供の財布さえ盗んだことがあるね。たしかに、盗んだ。そうして、君は、泣いたろう。女の子の財布には、その子供自身で針金ねじ曲げてこしらえ
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