らっている。これは、私が悪いのである。そんなひどい形容詞を、まっさきに案出して、それを私の王冠となして、得々《とくとく》としていたのは、誰でもない、私なのである。この私である。芸術の世界では、悪徳者ほど、はばをきかせているものだ、と誰がそんな口碑《こうひ》を教えたものか、たしかにそれを信じていた。高等学校のころには、頬に喧嘩《けんか》の傷跡があり、蓬髪垢面《ほうはつこうめん》、ぼろぼろの洋服を着て、乱酔放吟して大道を濶歩《かっぽ》すれば、その男は英雄であり、the Almighty であり、成功者でさえあった。芸術の世界も、そんなものだと思っていた。お恥かしいことである。
私の悪徳は、みんな贋物《にせもの》だ。告白しなければ、なるまい。身振りだけである。まことは、小心翼々の、甘い弱い、そうして多少、頭の鈍い、酒でも飲まなければ、ろくろく人の顔も正視できない、謂《い》わば、おどおどした劣った子である。こいつが、アレキサンダア・デュマの大ロマンスを読んで熱狂し、血相かえて書斎から飛び出し、友を選ばばダルタニアンと、絶叫して酒場に躍り込んだようなものなのだから、たまらない。めちゃめちゃである。まさしく、命からがらであった。
同じ失敗を二度繰りかえすやつは、ばかである。身のほど知らぬ倨傲《きょごう》である。こんどは私も用心した。鎧《よろい》かぶとに身を固めた。二枚も三枚も、鎧を着た。固め過ぎた。動けなくなったのである。部屋から一歩も出なかった。癈人、と或る見舞客が、うっかり口を滑らしたのを聞いて、流石《さすが》に、いやな気がした。
いまは、素裸にサンダル、かなり丈夫の楯《たて》を一つ持っている。私は、いまは、世評を警戒している。「私は嘗《か》つて民衆に対してどんな罪を犯したろうか。けれども、いまでは、すっかり民衆の友でないと言われている。輿論《よろん》に於《お》いて人の誤解されやすいのには驚く。実に驚く。」と、ゲエテほどの男でも、かのエッケルマン氏につくづく、こぼしているではないか。また、私は幼少のころから、ゴオルドスミスという作家を、大いに好きで仕様がないのであるが、この作家は一生涯、たったひとりの人物だけを尊敬していた。ウエークフィルドの牧師である。すなわち、ゴオルドスミス御自身の小説に現われて来る一人物である。そいつだけを尊敬していた。尊敬し切っていた。そいつは
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