んであぐらを掻き、野中は、二つの茶呑茶碗に一升瓶の酒をつぐ。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
(野中) 乾盃! (ぐっと飲む)
(奥田)(飲みかけて、よす)なんですか? これは。ガソリンのようなにおいがしますね。(そのまま茶碗を食卓の上に置く)
(野中) サントリイ。
(奥田) え?
(野中) サントリイウイスキイ。(と言いながら一升瓶を目の高さまで持ち上げ、電燈の光にすかして見て)無色透明なるサントリイウイスキイ。一升百五十円。
(奥田) 冗談じゃない。
(野中) いや、そこが面白いところさ。僕だって知ってるよ、これは薬用アルコールに水を割っただけのものさ。しかしだね、僕にこれをサントリイウイスキイだと言って百五十円でゆずってくれた人は、だ、いいかね、そのひとは、この村の酒飲みのさる漁師だが、このひと自身も、これをサントリイウイスキイという名前の、まことに高級なる飲み物であると信じ切っているんだから愉快じゃないか。つまり、その漁師は、青森あたりにさかなを売りに行って、そうして帰りに青森の闇屋にだまされて、三升、いや、四升かも知れん、サントリイウイスキイなる高級品を仕入れて来て、そうしてきょう朝っぱらから近所の飲み仲間を集めて酒盛りをひらいていた、そこへ僕が、さかなをゆずってもらいに顔を出したというわけだ。たちまち彼等は僕をつかまえ、あなたならばたしかに知っているに違いないが、これはサントリイといってわれらの口には少しもったいなすぎる酒だ、ぜひとも先生に一ぱい飲んでいただきたい、と言って大きい茶碗になみなみとついで突きつける。見ると、かくのごとく無色透明、しかも、この匂い。僕もさすがに躊躇《ちゅうちょ》したよ。れいの、あの、メチルかも知れないしねえ。しかし、僕は、あの漁師たちの、一点疑うところ無き実に誇らしげな表情を見て、たまらなくなり、死を決した。うむ、死を決した。この愚かで無邪気な、そうして哀《かな》しい漁師たちと一緒に死のうと覚悟した。僕は飲んだよ。そんなに味がわるくない。しかも、気持よく、ぽっと酔う。そこでだ、僕は、彼等から一升をわけてもらって、彼等と共に大いに飲んだ。やはり、サントリイに限る、サントリイを飲むと、他の酒はまずくて飲まれん、なんて僕はお世辞を言ってね、そうして妙に悲しかったよ。(言いながら、自分で注い
前へ
次へ
全28ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング