情の深さを。
Kは、そうして、生きている。
ことしの晩秋、私は、格子縞《こうしじま》の鳥打帽をまぶかにかぶって、Kを訪れた。口笛を三度すると、Kは、裏木戸をそっとあけて、出て来る。
「いくら?」
「お金じゃない。」
Kは、私の顔を覗《のぞ》きこむ。
「死にたくなった?」
「うん。」
Kは、かるく下唇を噛む。
「いまごろになると、毎年きまって、いけなくなるらしいのね。寒さが、こたえるのかしら。羽織《はおり》ないの? おや、おや、素足で。」
「こういうのが、粋《いき》なんだそうだ。」
「誰が、そう教えたの?」
私は溜息《ためいき》をついて、「誰も教えやしない。」
Kも小さい溜息をつく。
「誰か、いいひとがないものかねえ。」
私は、微笑する。
「Kとふたりで、旅行したいのだけれど。」
Kは、まじめに、うなずく。
わかっているのだ。みんな、みんな、わかっているのだ。Kは、私を連れて旅に出る。この子を死なせてはならない。
その日の真夜中、ふたり、汽車に乗った。汽車が動き出して、Kも、私も、やっと、なんだか、ほっとする。
「小説は?」
「書けない。」
まっくら闇の汽車の音は、トラタタ、トラタタ、トラタタタ。
「たばこ、のむ?」
Kは、三種類の外国煙草を、ハンドバッグから、つぎつぎ取り出す。
いつか、私は、こんな小説を書いたことがある。死のうと思った主人公が、いまわの際に、一本の、かおりの高い外国煙草を吸ってみた、そのほのかなよろこびのために、死ぬること、思いとどまった、そんな小説を書いたことがある。Kは、それを知っている。
私は、顔をあからめた。それでも、きざに、とりすまして、その三種類の外国煙草を、依怙贔屓《えこひいき》なく、一本ずつ、順々に吸ってみる。
横浜で、Kは、サンドイッチを買い求める。
「たべない?」
Kは、わざと下品に、自分でもりもり食べて見せる。
私も、落ちついて一きれ頬ばる。塩からかった。
「ひとことでも、ものを言えば、それだけ、みんなを苦しめるような気がして、むだに、くるしめるような気がして、いっそ、だまって微笑《ほほえ》んで居れば、いいのだろうけれど、僕は作家なのだから、何か、ものを言わなければ暮してゆけない作家なのだから、ずいぶん、骨が折れます。僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛《め
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