、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」に限るようですな。
小説と云うものは、そのように情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功。その婦女子をだます手も、色々ありまして、或《ある》いは謹厳を装い、或いは美貌をほのめかし、あるいは名門の出だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、或いは我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白々なるにかかわらず、評論家と云う馬鹿者がありまして、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしているようですから、呆れるじゃありませんか。
最後に云って置きますが、むかし、滝沢馬琴と云う人がありまして、この人の書いたものは余り面白く無かったけれど、でも、その人のライフ・ワークらしい里見八犬伝の序文に、婦女子のねむけ醒《ざま》しともなれば幸なりと書いてありました。そうして、その婦女子のねむけ醒しのために、あの人は目を潰《つぶ》してしまいまして、それでも、口述筆記で続けたってんですから、馬鹿なもんじゃありませんか。
余談のようになりますが、私はいつだか藤村と云う人の夜明け前と云う作品を、眠られない夜に朝までかか
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