賑《にぎ》やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢《ぜいたく》な御馳走のように見えるのだ。卵のかげにパセリの青草、その傍に、ハムの赤い珊瑚礁《さんごしょう》がちらと顔を出していて、キャベツの黄色い葉は、牡丹《ぼたん》の花瓣《かべん》のように、鳥の羽の扇子のようにお皿に敷かれて、緑したたる菠薐草《ほうれんそう》は、牧場か湖水か。こんなお皿が、二つも三つも並べられて食卓に出されると、お客様はゆくりなく、ルイ王朝を思い出す。まさか、それほどでもないけれど、どうせ私は、おいしい御馳走なんて作れないのだから、せめて、ていさいだけでも美しくして、お客様を眩惑《げんわく》させて、ごまかしてしまうのだ。料理は、見かけが第一である。たいてい、それで、ごまかせます。けれども、このロココ料理には、よほど絵心《えごころ》が必要だ。色彩の配合について、人一倍、敏感でなければ、失敗する。せめて私くらいのデリカシイが無ければね。ロココという言葉を、こないだ辞典でしらべてみたら、華麗のみにて内容空疎の装飾様式、と定義されていたので、笑っちゃった。名答である。美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつ
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