る。いや、しかし、淫売店にだって時たま真実の宝玉が発見できるだろう。それは、知識のどろぼう市である。いや、しかし、どろぼう市にだってほんものの金の指環《ゆびわ》がころがっていない事もない。サロンは、ほとんど比較を絶したものである。いっそ、こうとでも言おうかしら。それは、知識の「大本営《だいほんえい》発表」である。それは、知識の「戦時日本の新聞」である。
戦時日本の新聞の全紙面に於いて、一つとして信じられるような記事は無かったが、(しかし、私たちはそれを無理に信じて、死ぬつもりでいた。親が破産しかかって、せっぱつまり、見えすいたつらい嘘《うそ》をついている時、子供がそれをすっぱ抜けるか。運命窮まると観じて黙って共に討死さ。)たしかに全部、苦しい言いつくろいの記事ばかりであったが、しかし、それでも、嘘でない記事が毎日、紙面の片隅《かたすみ》に小さく載っていた。曰《いわ》く、死亡広告である。羽左衛門《うざえもん》が疎開先で死んだという小さい記事は嘘でなかった。
サロンは、その戦時日本の新聞よりもまだ悪い。そこでは、人の生死さえ出鱈目《でたらめ》である。太宰などは、サロンに於いて幾度か死亡
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