ます。もっとも、いまの自由主義者というのは、タイプが少し違っているようですが、フランスの十七世紀のリベルタンってやつは、まあたいていそんなものだったのです。花川戸《はなかわど》の助六《すけろく》も鼠小僧《ねずみこぞう》の次郎吉《じろきち》も、或いはそうだったのかも知れませんね。」
「へええ、そんなわけの事になるますかねえ。」とかっぽれは、大喜びである。
越後獅子も、スリッパの破れを縫いながら、にやりと笑う。
「いったいこの自由思想というものは、」と固パンはいよいよまじめに、「その本来の姿は、反抗精神です。破壊思想といっていいかも知れない。圧制や束縛が取りのぞかれたところにはじめて芽生える思想ではなくて、圧制や束縛のリアクションとしてそれらと同時に発生し闘争すべき性質の思想です。よく挙げられる例ですけれども、鳩が或る日、神様にお願いした、『私が飛ぶ時、どうも空気というものが邪魔になって早く前方に進行できない。どうか空気というものを無くして欲しい。』神様はその願いを聞き容《い》れてやった。然《しか》るに鳩は、いくらはばたいても飛び上る事が出来なかった。つまりこの鳩が自由思想です。空気の抵
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