、まさに田舎者そのものである。しかし、私はこれからこそ、この田舎者の要領の悪さ、拙劣さ、のみ込みの鈍さ、単純な疑問でもって、押し通してみたいと思っている。いまの私が、自身にたよるところがありとすれば、ただその「津軽の百姓」の一点である。
十五年間、私は故郷から離れていたが、故郷も変らないし、また、私も一向に都会人らしく垢抜《あかぬ》けていないし、いや、いよいよ田舎臭く野暮《やぼ》ったくなるばかりである。「サロン思想」は、いよいよ私と遠くなる。
このごろ私は、仙台の新聞に「パンドラの匣《はこ》」という長篇小説を書いているが、その一節を左に披露して、この悪夢に似た十五年間の追憶の手記を結ぶ事にする。
(前略)嵐《あらし》のせいであろうか、或《ある》いは、貧しいともしびのせいであろうか、その夜は私たち同室の者四人が、越後獅子《えちごじし》の蝋燭《ろうそく》の火を中心にして集まり、久し振りで打ち解けた話を交《かわ》した。
「自由主義者ってのは、あれは、いったい何ですかね?」と、かっぽれは如何《いか》なる理由からか、ひどく声をひそめて尋ねる。
「フランスでは、」と固パンは英語のほうでこりたか
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