一つと、短篇小説をいくつか書いた。短篇小説には、独自の技法があるように思われる。短かければ短篇というものではない。外国でも遠くはデカメロンあたりから発して、近世では、メリメ、モオパスサン、ドオデエ、チェホフなんて、まあいろいろあるだろうが、日本では殊《こと》にこの技術が昔から発達していた国で、何々物語というもののほとんど全部がそれであったし、また近世では西鶴《さいかく》なんて大物も出て、明治では鴎外《おうがい》がうまかったし、大正では、直哉《なおや》だの善蔵《ぜんぞう》だの龍之介《りゅうのすけ》だの菊池寛だの、短篇小説の技法を知っている人も少くなかったが、昭和のはじめでは、井伏さんが抜群のように思われたくらいのもので、最近に到《いた》ってまるでもう駄目になった。皆ただ、枚数が短いというだけのものである。戦争が終って、こんどは好きなものを書いてもいいという事であったので、私は、この短篇小説のすたれた技法を復活させてやれと考えて、三つ四つ書いて雑誌社に送ったりなどしているうちに、何だかひどく憂鬱になって来た。
 またもや、八つ当りしてヤケ酒を飲みたくなって来たのである。日本の文化がさらにま
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