って、死んでゆきました。まえから、心臓が、ひどく悪かったのです。木枯《こがら》しのおそろしく強い朝でしてな。あわれな話ですね。けれども、あの子は、見どころあります。それから母子《おやこ》ふたりで、東京へ出て、苦労しました。わたくしは、どんぶり持って豆腐いっちょう買いに行くのが、一ばんつらかった。いまでは、どうやら、朝太郎も、皆様のおかげで、もの書いてお金いただけるようになって、わたくしは、朝太郎が、もう、どんな、ばかをしても、信じている。むかし、あれの父をあんなに大事にかばって呉《く》れたこと思えば、あの子が、ありがたくて、もったいなくて、あの子のことだったら、どんなことがあっても、たとえあれが、人殺ししたって、わたくしは、あれを信じている。あれは、情の深い子です。(後略)
 このような思想を、古い人情主義さ、とか言って、ヘヘンと笑って片づける、自称「科学精神の持主」とは、私は永遠に仕事を一緒にやって行けない。私は戦争中、もしこんなていたらくで日本が勝ったら、日本は神の国ではなくて、魔の国だと思っていた。けれども私は、日本必勝を口にし、日本に味方するつもりでいた。負けるにきまっているも
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