私は、いま、多少、君をごまかしている。他なし、君を死なせたくないからだ。君、たのむ、死んではならぬ。自ら称して、盲目的愛情。君が死ねば、君の空席が、いつまでも私の傍に在るだろう。君が生前、腰かけたままにやわらかく窪《くぼ》みを持ったクッションが、いつまでも、私の傍に残るだろう。この人影のない冷い椅子は、永遠に、君の椅子として、空席のままに存続する。神も、また、この空席をふさいで呉れることができないのである。ああ、私の愛情は、私の盲目的な虫けらの愛情は、なんということだ、そっくり我執の形である。
路を歩けば、曰《いわ》く、「惚《ほ》れざるはなし。」みんなのやさしさ、みんなの苦しさ、みんなのわびしさ、ことごとく感取できて、私の辞書には、「他人」の文字がない有様。誰でも、よい。あなたとならば、いつでも死にます。ああ、この、だらしない恋情の氾濫《はんらん》。いったい、私は、何者だ。「センチメンタリスト。」おかしくもない。
ことしの春、妻とわかれて、私は、それから、いちど恋をした。その相手の女のひとは、私を拒否して、言うことには、「あなたは、私ひとりのものにするには、よすぎます。」私は、あわてて失恋の歌を書き綴った。以後、女は、よそうと思った。
何もない。失うべき、何もない。まことの出発は、ここから? (苦笑。)
笑い。これは、つよい。文化の果の、花火である。理智も、思索も、数学も、一切の教養の極致は、所詮《しょせん》、抱腹絶倒の大笑いに終る、としたなら、ああ、教養は、――なんて、やっぱりそれに、こだわっているのだから、大笑いである。
もっとも世俗を気にしている者は、芸術家である。
約束の枚数に達したので、ペンを置き、梨《なし》の皮をむきながら、にがり切って、思うことには、「こんなのじゃ、仕様がない。」
底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
初出:「文芸」
1937(昭和12)年12月1日発行
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月17日作成
2006年7月2日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http
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