安心した。
そのとしの冬やすみは、中學生としての最後の休暇であつたのである。歸郷の日のちかくなるにつれて、私と弟とは幾分の氣まづさをお互ひに感じてゐた。
いよいよ共にふるさとの家へ歸つて來て、私たちは先づ臺所の石の爐ばたに向ひあつてあぐらをかいて、それからきよろきよろとうちの中を見わたしたのである。みよがゐないのだ。私たちは二度も三度も不安な瞳をぶつつけ合つた。その日、夕飯をすませてから、私たちは次兄に誘はれて彼の部屋へ行き、三人して火燵にはひりながらトランプをして遊んだ。私にはトランプのどの札もただまつくろに見えてゐた。話の何かいいついでがあつたから、思ひ切つて次兄に尋ねた。女中がひとり足りなくなつたやうだが、と手に持つてゐる五六枚のトランプで顏を被ふやうにしつつ、餘念なささうな口調で言つた。もし次兄が突つこんで來たら、さいはひ弟も居合せてゐることだし、はつきり言つてしまはうと心をきめてゐた。
次兄は、自分の手の札を首かしげかしげしてあれこれと出し迷ひながら、みよか、みよは婆樣と喧嘩して里さ戻つた、あれは意地つぱりだぜえ、と呟いて、ひらつと一枚捨てた。私も一枚投げた。弟も默つて一枚捨てた。
それから四五日して、私は鷄舍の番小屋を訪れ、そこの番人である小説の好きな青年から、もつとくはしい話を聞いた。みよは、ある下男にたつたいちどよごされたのを、ほかの女中たちに知られて、私のうちにゐたたまらなくなつたのだ。男は、他にもいろいろ惡いことをしたので、そのときは既に私のうちから出されてゐた。それにしても、青年はすこし言ひ過ぎた。みよは、やめせ、やめせ、とあとで囁いた、とその男の手柄話まで添へて。
正月がすぎて、冬やすみも終りに近づいた頃、私は弟とふたりで、文庫藏へはひつてさまざまな藏書や軸物を見てあそんでゐた。高いあかり窓から雪の降つてゐるのがちらちら見えた。父の代から長兄の代にうつると、うちの部屋部屋の飾りつけから、かういふ藏書や軸物の類まで、ひたひたと變つて行くのを、私は歸郷の度毎に、興深く眺めてゐた。私は長兄がちかごろあたらしく求めたらしい一本の軸物をひろげて見てゐた。山吹が水に散つてゐる繪であつた。弟は私の傍へ、大きな寫眞箱を持ち出して來て、何百枚もの寫眞を、冷くなる指先へときどき白い息を吐きかけながら、せつせと見てゐた。しばらくして、弟は私の方へ、まだ臺紙の新しい手札型の寫眞をいちまいのべて寄こした。見ると、みよが最近私の母の供をして、叔母の家へでも行つたらしく、そのとき、叔母と三人してうつした寫眞のやうであつた。母がひとり低いソフアに坐つて、そのうしろに叔母とみよが同じ脊たけぐらゐで並んで立つてゐた。背景は薔薇の咲き亂れた花園であつた。私たちは、お互ひの頭をよせつつ、なほ鳥渡の間その寫眞に眼をそそいだ。私は、こころの中でとつくに弟と和解してゐたのだし、みよのあのことも、ぐづぐづして弟にはまだ知らせてなかつたし、わりにおちつきを裝うてその寫眞を眺めることが出來たのである。みよは、動いたらしく顏から胸にかけての輪廓がぼつとしてゐた。叔母は兩手を帶の上に組んでまぶしさうにしてゐた。私は、似てゐると思つた。
底本:「太宰治全集2」筑摩書房
1998(平成10)年5月25日初版第1刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:赤木孝之
校正:小林繁雄
2004年4月20日作成
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