もう子供でなかつた。裏の空屋敷には色んな雜草がのんのんと繁つてゐたが、夏の或る天氣のいい日に私はその草原の上で弟の子守から息苦しいことを教へられた。私が八つぐらゐで、子守もそのころは十四五を越えてゐまいと思ふ。苜蓿を私の田舍では「ぼくさ」と呼んでゐるが、その子守は私と三つちがふ弟に、ぼくさの四つ葉を搜して來い、と言ひつけて追ひやり私を抱いてころころと轉げ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた。それからも私たちは藏の中だの押入の中だのに隱れて遊んだ。弟がひどく邪魔であつた。押入のそとにひとり殘された弟が、しくしく泣き出した爲、私のすぐの兄に私たちのことを見つけられてしまつた時もある。兄が弟から聞いて、その押入の戸をあけたのだ。子守は、押入へ錢《ぜに》を落したのだ、と平氣で言つてゐた。
 嘘は私もしじゆう吐いてゐた。小學二年か三年の雛祭りのとき學校の先生に、うちの人が今日は雛さまを飾るのだから早く歸れと言つてゐる、と嘘を吐いて授業を一時間も受けずに歸宅し、家の人には、けふは桃の節句だから學校は休みです、と言つて雛を箱から出すのに要らぬ手傳ひをしたことがある。また私は小鳥の卵を愛した
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