た。
 それから間もなく、山岸さんは、眼の大きな背の高い青年を連れて三鷹の陋屋にやって来た。
「三田の弟さんだ。」山岸さんに紹介せられて私たちは挨拶を交した。
 やはり似ている。気弱そうな微笑が、兄さんにそっくりだと思った。
 私は弟さんからお土産をいただいた。桐《きり》の駒下駄《こまげた》と、林檎《りんご》を一籠いただいた。山岸さんは註釈を加えて、
「僕のうちでも、林檎と駒下駄をもらった。林檎はまだ少しすっぱいようだから、二、三日置いてたべるといいかも知れない。駒下駄は僕と君とお揃いのを一足ずつ。気持のいいお土産だろう?」
 弟さんは遺稿集に就いての相談もあり、また、兄さんの事を一夜、私たちと共に語り合いたい気持もあって、その前日、花巻から上京して来たのだという。
 私の家で三人、遺稿集の事に就いて相談した。
「詩を全部、載せますか。」と私は山岸さんに尋ねた。
「まあ、そんな事になるだろうな。」
「初期のは、あんまりよくなかったようですが。」と私は、まだ少しこだわっていた。れいの田五作の剛情である。因業爺の卵である。
「そんな事を言ったって。」と、山岸さんは苦笑して、それから、すぐに賢明に察したらしく、「こりゃどうも、太宰のさきには死なれないね。どんな事を言われるか、わかりゃしない。」
 私は、開巻第一頁に、三田君のあのお便りを、大きい活字で組んで載せてもらいたかったのである。あとの詩は、小さい活字だって構わない。それほど私はあのお便りの言々句々が好きなのである。
 御元気ですか。
 遠い空から御伺いします。
 無事、任地に着きました。
 大いなる文学のために、
 死んで下さい。
 自分も死にます、
 この戦争のために。



底本:「太宰治全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1989(昭和64)年2月28日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月から1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:kumi
2000年9月18日公開
2001年4月7日修正
青空文庫作成ファイル:
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