私の不明を謝したい気持であった。思いをあらたにして、山岸さんと握手したい気持だった。
 私には詩がわからぬ、とは言っても、私だって真実の文章を捜して朝夕を送っている男である。まるっきりの文盲とは、わけが違う。少しは、わかるつもりでいるのだ。山岸さんに「いいほうだ。いちばんいいかも知れない」と言われた時にも、私は自分の不明を恥かしく思う一方、なお胸の奥底で「そうかなあ」と頑固《がんこ》に渋って、首をひねっていたところも無いわけではなかったのである。私には、どうも田五作の剛情な一面があるらしく、目前に明白の証拠を展開してくれぬうちは、人を信用しない傾向がある。キリストの復活を最後まで信じなかったトマスみたいなところがある。いけないことだ。「我はその手に釘《くぎ》の痕《あと》を見、わが指を釘の痕にさし入れ、わが手をその脅《わき》に差入るるにあらずば信ぜじ」などという剛情は、まったく、手がつけられない。私にも、人のよい、たわいない一面があって、まさかトマスほどの徹底した頑固者でもないようだけれども、でも、うっかりすると、としとってから妙な因業爺《いんごうじじい》になりかねない素質は少しあるらし
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