の下宿のちかくの、山岸さんのお宅へ行って、熱心に詩の勉強をはじめた様子であった。山岸さんは、私たちの先輩の篤実《とくじつ》な文学者であり、三田君だけでなく、他の四、五人の学生の小説や詩の勉強を、誠意を以《もっ》て指導しておられたようである。山岸さんに教えられて、やがて立派な詩集を出し、世の達識の士の推頌《すいしょう》を得ている若い詩人が已《すで》に二、三人あるようだ。
「三田君は、どうです。」とその頃、私は山岸さんに尋ねた事がある。
山岸さんは、ちょっと考えてから、こう言った。
「いいほうだ。いちばんいいかも知れない。」
私は、へえ? と思った。そうして赤面した。私には、三田君を見る眼が無かったのだと思った。私は俗人だから、詩の世界がよくわからんのだ、と間《ま》のわるい思いをした。三田君が私から離れて山岸さんのところへ行ったのは、三田君のためにも、とてもいい事だったと思った。
三田君は、私のところに来ていた時分にも、その作品を私に二つ三つ見せてくれた事があったのだけれども、私はそんなに感心しなかったのだ。戸石君は大いに感激して、
「こんどの三田さんの詩は傑作ですよ。どうか一つ、ゆっくり読んでみて下さい。」
と、まるで自分が傑作を書いたみたいに騒ぐのであるが、私には、それほどの傑作とも思えなかった。決して下品な詩ではなかった。いやしい匂いは、少しも無かった。けれども私には、不満だった。
私は、ほめなかった。
しかし、私には、詩というものがわからないのかも知れない。山岸さんの「いいほうだ」という判定を聞いて、私は三田君のその後の詩を、いちど読んでみたいと思った。三田君も山岸さんに教えられて、或《ある》いは、ぐんぐん上達したのかも知れないと思った。
けれども、私がまだ三田君のその新しい作品に接しないうちに、三田君は大学を卒業してすぐに出征してしまったのである。
いま私の手許に、出征後の三田君からのお便りが四通ある。もう二、三通もらったような気がするのだけれども、私は、ひとからもらった手紙を保存して置かない習慣なので、この四通が机の引出の中から出て来たのさえ不思議なくらいで、あとの二、三通は永遠に失われたものと、あきらめなければなるまい。
太宰さん、御元気ですか。
何も考え浮びません。
無心に流れて、
そうして、
軍人第一年生。
当分、
「詩」
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