を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井|荷風《かふう》という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、
「下々の手前達が兎《と》や角《かく》と御政事向の事を取沙汰《とりざた》致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土《もろこし》の世には天下太平の兆《しるし》には綺麗《きれい》な鳳凰《ほうおう》とかいう鳥が舞《ま》い下《さが》ると申します。然《しか》し当節のように何も彼《か》も一概に綺麗なものや手数のかかったもの無益なものは相成らぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺《からてんじく》まで名の響いた錦絵《にしきえ》まで御差止めに成るなぞは、折角《せっかく》天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸《くび》をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」
という一文がありました。これは、「散柳窓夕栄」という小説の中の、一人物の感慨として書かれているのであり
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