三月三十日
太宰治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)容赦《ようしゃ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)永井|荷風《かふう》
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満洲のみなさま。
私の名前は、きっとご存じ無い事と思います。私は、日本の、東京市外に住んでいるあまり有名でない貧乏な作家であります。東京は、この二、三日ひどい風で、武蔵野のまん中にある私の家には、砂ほこりが、容赦《ようしゃ》無く舞い込み、私は家の中に在りながらも、まるで地べたに、あぐらをかいて坐っている気持でありました。きょうは、風もおさまり、まことに春らしく、静かに晴れて居ります。満洲は、いま、どうでありましょうか。やはり、梅が咲きましたか。東京は、もう梅は、さかりを過ぎて、花弁も汚くしなび掛けて居ります。桜の蕾《つぼみ》は、大豆くらいの大きさにふくらんで居ります。もう十日くらい経てば、花が開くのではないかと存じます。きょうは、三月三十日です。南京に、新政府の成立する日であります。私は、政治の事は、あまり存じません。けれども、「和平建国」というロマンチシズムには、やっぱり胸が躍ります。日本には、戦争を主として描写する作家も居りますけれど、また、戦争は、さっぱり書けず、平和の人の姿だけを書きつづけている作家もあります。きのう永井|荷風《かふう》という日本の老大家の小説集を読んでいたら、その中に、
「下々の手前達が兎《と》や角《かく》と御政事向の事を取沙汰《とりざた》致すわけでは御座いませんが、先生、昔から唐土《もろこし》の世には天下太平の兆《しるし》には綺麗《きれい》な鳳凰《ほうおう》とかいう鳥が舞《ま》い下《さが》ると申します。然《しか》し当節のように何も彼《か》も一概に綺麗なものや手数のかかったもの無益なものは相成らぬと申してしまった日には、鳳凰なんぞは卵を生む鶏じゃ御座いませんから、いくら出て来たくも出られなかろうじゃ御座いませんか。外のものは兎に角と致して日本一お江戸の名物と唐天竺《からてんじく》まで名の響いた錦絵《にしきえ》まで御差止めに成るなぞは、折角《せっかく》天下太平のお祝いを申しに出て来た鳳凰の頸《くび》をしめて毛をむしり取るようなものじゃ御座いますまいか。」
という一文がありました。これは、「散柳窓夕栄」という小説の中の、一人物の感慨として書かれているのであり
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