の直治は大学の中途で召集され、南方の島へ行ったのだが、消息が絶えてしまって、終戦になっても行先が不明で、お母さまは、もう直治には逢《あ》えないと覚悟している、とおっしゃっているけれども、私は、そんな、「覚悟」なんかした事は一度もない、きっと逢えるとばかり思っている。
「あきらめてしまったつもりなんだけど、おいしいスウプをいただいて、直治を思って、たまらなくなった。もっと、直治に、よくしてやればよかった」
直治は高等学校にはいった頃から、いやに文学にこって、ほとんど不良少年みたいな生活をはじめて、どれだけお母さまに御苦労をかけたか、わからないのだ。それだのにお母さまは、スウプを一さじ吸っては直治を思い、あ、とおっしゃる。私はごはんを口に押し込み眼が熱くなった。
「大丈夫よ。直治は、大丈夫よ。直治みたいな悪漢は、なかなか死ぬものじゃないわよ。死ぬひとは、きまって、おとなしくて、綺麗《きれい》で、やさしいものだわ。直治なんて、棒でたたいたって、死にやしない」
お母さまは笑って、
「それじゃ、かず子さんは早死にのほうかな」
と私をからかう。
「あら、どうして? 私なんか、悪漢のおデコさんですから、八十歳までは大丈夫よ」
「そうなの? そんなら、お母さまは、九十歳までは大丈夫ね」
「ええ」
と言いかけて、少し困った。悪漢は長生きする。綺麗なひとは早く死ぬ。お母さまは、お綺麗だ。けれども、長生きしてもらいたい。私は頗るまごついた。
「意地わるね!」
と言ったら、下唇《したくちびる》がぷるぷる震えて来て、涙が眼からあふれて落ちた。
蛇《へび》の話をしようかしら。その四、五日前の午後に、近所の子供たちが、お庭の垣《かき》の竹藪《たけやぶ》から、蛇の卵を十ばかり見つけて来たのである。
子供たちは、
「蝮《まむし》の卵だ」
と言い張った。私はあの竹藪に蝮が十匹も生れては、うっかりお庭にも降りられないと思ったので、
「焼いちゃおう」
と言うと、子供たちはおどり上がって喜び、私のあとからついて来る。
竹藪の近くに、木の葉や柴《しば》を積み上げて、それを燃やし、その火の中に卵を一つずつ投げ入れた。卵は、なかなか燃えなかった。子供たちが、更に木の葉や小枝を焔《ほのお》の上にかぶせて火勢を強くしても、卵は燃えそうもなかった。
下の農家の娘さんが、垣根の外から、
「何をしていらっしゃるのですか?」
と笑いながらたずねた。
「蝮の卵を燃やしているのです。蝮が出ると、こわいんですもの」
「大きさは、どれくらいですか?」
「うずらの卵くらいで、真白なんです」
「それじゃ、ただの蛇の卵ですわ。蝮の卵じゃないでしょう。生《なま》の卵は、なかなか燃えませんよ」
娘さんは、さも可笑《おか》しそうに笑って、去った。
三十分ばかり火を燃やしていたのだけれども、どうしても卵は燃えないので、子供たちに卵を火の中から拾わせて、梅の木の下に埋めさせ、私は小石を集めて墓標を作ってやった。
「さあ、みんな、拝むのよ」
私がしゃがんで合掌すると、子供たちもおとなしく私のうしろにしゃがんで合掌したようであった。そうして子供たちとわかれて、私ひとり石段をゆっくりのぼって来ると、石段の上の、藤棚《ふじだな》の蔭《かげ》にお母さまが立っていらして、
「可哀《かわい》そうな事をするひとね」
とおっしゃった。
「蝮かと思ったら、ただの蛇だったの。けれど、ちゃんと埋葬してやったから、大丈夫」
とは言ったものの、こりゃお母さまに見られて、まずかったかなと思った。
お母さまは決して迷信家ではないけれども、十年前、お父上が西片町のお家で亡くなられてから、蛇をとても恐れていらっしゃる。お父上の御臨終の直前に、お母さまが、お父上の枕元《まくらもと》に細い黒い紐《ひも》が落ちているのを見て、何気なく拾おうとなさったら、それが蛇だった。するすると逃げて、廊下に出てそれからどこへ行ったかわからなくなったが、それを見たのは、お母さまと、和田の叔父さまとお二人きりで、お二人は顔を見合せ、けれども御臨終のお座敷の騒ぎにならぬよう、こらえて黙っていらしたという。私たちも、その場に居合せていたのだが、その蛇の事は、だから、ちっとも知らなかった。
けれども、そのお父上の亡くなられた日の夕方、お庭の池のはたの、木という木に蛇がのぼっていた事は、私も実際に見て知っている。私は二十九のばあちゃんだから、十年前のお父上の御逝去《ごせいきょ》の時は、もう十九にもなっていたのだ。もう子供では無かったのだから、十年|経《た》っても、その時の記憶はいまでもはっきりしていて、間違いは無い筈《はず》だが、私がお供えの花を剪《き》りに、お庭のお池のほうに歩いて行って、池の岸のつつじのところに立ちどまって、ふと見る
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