、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければいけないの?」
 二人、笑った。
「すこし、休まない?」
 とお母さまは、なおお笑いになりながら、
「きょうは、ちょっとかず子さんと相談したい事があるの」
「なあに? 死ぬお話なんかは、まっぴらよ」
 私はお母さまの後について行って、藤棚《ふじだな》の下のベンチに並んで腰をおろした。藤の花はもう終って、やわらかな午後の日ざしが、その葉をとおして私たちの膝《ひざ》の上に落ち、私たちの膝をみどりいろに染めた。
「前から聞いていただきたいと思っていた事ですけどね、お互いに気分のいい時に話そうと思って、きょうまで機会を待っていたの。どうせ、いい話じゃあ無いのよ。でも、きょうは何だか私もすらすら話せるような気がするもんだから、まあ、あなたも、我慢しておしまいまで聞いて下さいね。実はね、直治《なおじ》は、生きているのです」
 私は、からだを固くした。
「五、六日前に、和田の叔父さまからおたよりがあってね、叔父さまの会社に以前つとめていらしたお方で、さいきん南方から帰還して、叔父さまのところに挨拶《あいさつ》にいらして、その時、よもやまの話の末に、そのお方が偶然にも直治と同じ部隊で、そうして直治は無事で、もうすぐ帰還するだろうという事がわかったの。でも、ね、一ついやな事があるの。そのお方の話では、直治はかなりひどい阿片《アヘン》中毒になっているらしい、と……」
「また!」
 私はにがいものを食べたみたいに、口をゆがめた。直治は、高等学校の頃に、或る小説家の真似《まね》をして、麻薬中毒にかかり、そのために、薬屋からおそろしい金額の借りを作って、お母さまは、その借りを薬屋に全部支払うのに二年もかかったのである。
「そう。また、はじめたらしいの。けれども、それのなおらないうちは、帰還もゆるされないだろうから、きっとなおして来るだろうと、そのお方も言っていらしたそうです。叔父さまのお手紙では、なおして帰って来たとしても、そんな心掛けの者では、すぐどこかへ勤めさせるというわけにはいかぬ、いまのこの混乱の東京で働いては、まともの人間でさえ少し狂ったような気分になる、中毒のなおったばかりの半病人なら、すぐ発狂気味になって、何を仕出かすか、わかったものでない、それで、直治が帰って来たら、すぐこの伊豆の山荘に引取って、どこへも出さずに、当分ここで静養させたほうがよい、それが一つ。それから、ねえ、かず子、叔父さまがねえ、もう一つお言いつけになっているのだよ。叔父さまのお話では、もう私たちのお金が、なんにも無くなってしまったんだって。貯金の封鎖だの、財産税だので、もう叔父さまも、これまでのように私たちにお金を送ってよこす事がめんどうになったのだそうです。それでね、直治が帰って来て、お母さまと、直治と、かず子と三人あそんで暮していては、叔父さまもその生活費を都合なさるのにたいへんな苦労をしなければならぬから、いまのうちに、かず子のお嫁入りさきを捜すか、または、御奉公のお家を捜すか、どちらかになさい、という、まあ、お言いつけなの」
「御奉公って、女中の事?」
「いいえ、叔父さまがね、ほら、あの、駒場《こまば》の」
 と或る宮様のお名前を挙げて、
「あの宮様なら、私たちとも血縁つづきだし、姫宮の家庭教師をかねて、御奉公にあがっても、かず子が、そんなに淋《さび》しく窮屈な思いをせずにすむだろう、とおっしゃっているのです」
「他に、つとめ口が無いものかしら」
「他の職業は、かず子には、とても無理だろう、とおっしゃっていました」
「なぜ無理なの? ね、なぜ無理なの?」
 お母さまは、淋しそうに微笑《ほほえ》んでいらっしゃるだけで、何ともお答えにならなかった。
「いやだわ! 私、そんな話」
 自分でも、あらぬ事を口走った、と思った。が、とまらなかった。
「私が、こんな地下足袋を、こんな地下足袋を」
 と言ったら、涙が出て来て、思わずわっと泣き出した。顔を挙げて、涙を手の甲で払いのけながら、お母さまに向って、いけない、いけない、と思いながら、言葉が無意識みたいに、肉体とまるで無関係に、つぎつぎと続いて出た。
「いつだか、おっしゃったじゃないの。かず子がいるから、かず子がいてくれるから、お母さまは伊豆へ行くのですよ、とおっしゃったじゃないの。かず子がいないと、死んでしまうとおっしゃったじゃないの。だから、それだから、かず子は、どこへも行かずに、お母さまのお傍《そば》にいて、こうして地下足袋をはいて、お母さまにおいしいお野菜をあげたいと、そればっかり考えているのに、直治が帰って来るとお聞きになったら。急に私を邪魔にして、宮様の女中に行けなんて、あんまりだわ、あんまりだわ」
 自分でも、ひどい事を口走ると思いながら、言葉が別
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