と、自分をおそろしい女だと思います。けれども、私のいまの生活は、それ以上におそろしいもののような気がして、M・Cにたよる事を止《よ》せないのです。鳩《はと》のごとく素直《すなお》に、蛇《へび》のごとく慧《さと》く、私は、私の恋をしとげたいと思います。でも、きっと、お母さまも、弟も、また世間の人たちも、誰ひとり私に賛成して下さらないでしょう。あなたは、いかがです。私は結局、ひとりで考えて、ひとりで行動するより他は無いのだ、と思うと、涙が出て来ます。生れて初めての、こと[#「こと」に傍点]なのですから。この、むずかしいことを、周囲のみんなから祝福されてしとげる法はないものかしら、とひどくややこしい代数の因数分解か何かの答案を考えるように、思いをこらして、どこかに一箇所、ぱらぱらと綺麗に解きほぐれる糸口があるような気持がして来て、急に陽気になったりなんかしているのです。
 けれども、かんじんのM・Cのほうで、私をどう思っていらっしゃるのか。それを考えると、しょげてしまいます。謂《い》わば、私は、押しかけ、………なんというのかしら、押しかけ女房といってもいけないし、押しかけ愛人、とでもいおうかしら、そんなものなのですから、M・Cのほうでどうしても、いやだといったら、それっきり。だから、あなたにお願いします。どうか、あのお方に、あなたからきいてみて下さい。六年前の或る日、私の胸に幽《かす》かな淡い虹《にじ》がかかって、それは恋でも愛でもなかったけれども、年月の経つほど、その虹はあざやかに色彩の濃さを増して来て、私はいままで一度も、それを見失った事はございませんでした。夕立の晴れた空にかかる虹は、やがてはかなく消えてしまいますけど、ひとの胸にかかった虹は、消えないようでございます。どうぞ、あのお方に、きいてみて下さい。あのお方は、ほんとに、私を、どう思っていらっしゃったのでしょう。それこそ、雨後の空の虹みたいに、思っていらっしゃったのでしょうか。そうして、とっくに消えてしまったものと?
 それなら、私も、私の虹を消してしまわなければなりません。けれども、私の生命をさきに消さなければ、私の胸の虹は消えそうもございません。
 御返事を、祈っています。
 上原二郎様(私のチェホフ。マイ、チェホフ。M・C)
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私は、このごろ、少しずつ、太って行きます。動物的な女に
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