こっそり上原さんのアパートにとどけさせたものだが、弟の手紙の誓いは、いつも嘘《うそ》で、塩原の別荘にも行かず、薬品中毒はいよいよひどくなるばかりの様子で、お金をねだる手紙の文章も、悲鳴に近い苦しげな調子で、こんどこそ薬をやめると、顔をそむけたいくらいの哀切な誓いをするので、また嘘かも知れぬと思いながらも、つ「また、ブローチなどお関さんに売らせて、そのお金を上原さんのアパートにとどけさせるのだった。
「上原さんって、どんな方?」
「小柄《こがら》で顔色の悪い、ぶあいそな人でございます」
と、お関さんは答える。
「でも、アパートにいらっしゃる事は、めったにございませぬです。たいてい、奥さんと、六つ七つの女のお子さんと、お二人がいらっしゃるだけでございます。この奥さんは、そんなにお綺麗《きれい》でもございませぬけれども、お優しくて、よく出来たお方のようでございます。あの奥さんになら、安心してお金をあずける事が出来ます」
その頃の私は、いまの私に較《くら》べて、いいえ、較べものにも何もならぬくらい、まるで違った人みたいに、ぼんやりの、のんき者ではあったが、それでも流石《さすが》に、つぎつぎと続いてしかも次第に多額のお金をねだられて、たまらなく心配になり、一日、お能からの帰り、自動車を銀座でかえして、それからひとりで歩いて京橋のカヤノアパートを訪ねた。
上原さんは、お部屋でひとり、新聞を読んでいらした。縞《しま》の袷《あわせ》に、紺絣《こんがすり》のお羽織を召していらして、お年寄りのような、お若いような、いままで見た事もない奇獣のような、へんな初印象を私は受取った。
「女房はいま、子供と、一緒に、配給物を取りに」
すこし鼻声で、とぎれとぎれにそうおっしゃる。私を、奥さんのお友達とでも思いちがいしたらしかった。私が、直治の姉だと言う事を申し上げたら、上原さんは、ふん、と笑った。私は、なぜだか、ひやりとした。
「出ましょうか」
そう言って、もう二重廻《にじゅうまわ》しをひっかけ、下駄箱《げたばこ》から新しい下駄を取り出しておはきになり、さっさとアパートの廊下を先に立って歩かれた。
外は、初冬の夕暮。風が、つめたかった。隅田川《すみだがわ》から吹いて来る川風のような感じであった。上原さんは、その川風にさからうように、すこし右肩をあげて築地のほうに黙って歩いて行かれる。私
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