気になり、へんに白々しくなって、
「私さえ、いなかったらいいのでしょう? 出て行きます。私には、行くところがあるの」
 と言い捨て、そのまま小走りに走って、お風呂場に行き、泣きじゃくりながら、顔と手足を洗い、それからお部屋へ行って、洋服に着換えているうちに、またわっと大きい声が出て泣き崩れ、思いのたけもっともっと泣いてみたくなって二階の洋間に駈《か》け上り、ベッドにからだを投げて、毛布を頭からかぶり、痩《や》せるほどひどく泣いて、そのうちに気が遠くなるみたいになって、だんだん、或るひとが恋いしくて、恋いしくて、お顔を見て、お声を聞きたくてたまらなくなり、両足の裏に熱いお灸《きゅう》を据え、じっとこらえているような、特殊な気持になって行った。
 夕方ちかく、お母さまは、しずかに二階の洋間にはいっていらして、パチと電燈に灯《ひ》をいれて、それから、ベッドのほうに近寄って来られ、
「かず子」
 と、とてもお優しくお呼びになった。
「はい」
 私は起きて、ベッドの上に坐《すわ》り、両手で髪を掻《か》きあげ、お母さまのお顔を見て、ふふと笑った。
 お母さまも、幽《かす》かにお笑いになり、それから、お窓の下のソファに、深くからだを沈め、
「私は、生れてはじめて、和田の叔父さまのお言いつけに、そむいた。……お母さまはね、いま、叔父さまに御返事のお手紙を書いたの。私の子供たちの事は、私におまかせ下さい、と書いたの。かず子、着物を売りましょうよ。二人の着物をどんどん売って、思い切りむだ使いして、ぜいたくな暮しをしましょうよ。私はもう、あなたに、畑仕事などさせたくない。高いお野菜を買ったって、いいじゃないの。あんなに毎日の畑仕事は、あなたには無理です」
 実は私も、毎日の畑仕事が、少しつらくなりかけていたのだ。さっきあんなに、狂ったみたいに泣き騒いだのも、畑仕事の疲れと、悲しみがごっちゃになって、何もかも、うらめしく、いやになったからなのだ。
 私はベッドの上で、うつむいて、黙っていた。
「かず子」
「はい」
「行くところがある、というのは、どこ?」
 私は自分が、首すじまで赤くなったのを意識した。
「細田さま?」
 私は黙っていた。
 お母さまは、深い溜息《ためいき》をおつきになり、
「昔の事を言ってもいい?」
「どうぞ」
 と私は小声で言った。
「あなたが、山木さまのお家から出て、
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