きり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。
[#ここから2字下げ]
昨年は、何も無かった。
一昨年は、何も無かった。
その前のとしも、何も無かった。
[#ここで字下げ終わり]
そんな面白い詩が、終戦直後の或《あ》る新聞に載っていたが、本当に、いま思い出してみても、さまざまの事があったような気がしながら、やはり、何も無かったと同じ様な気もする。私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、いやだ。人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈だ。けれども、私は、やはり自分勝手なのであろうか。私が徴用されて地下足袋をはき、ヨイトマケをやらされた時の事だけは、そんなに陳腐だとも思えない。ずいぶんいやな思いもしたが、しかし、私はあのヨイトマケのおかげで、すっかりからだが丈夫になり、いまでも私は、いよいよ生活に困ったら、ヨイトマケをやって生きて行こうと思う事があるくらいなのだ。
戦局がそろそろ絶望になって来た頃、軍服みたいなものを着た男が、西片町のお家へやって来て、私に徴用の紙と、それから労働の日割を書いた紙を渡した。日割の紙を見ると、私はその翌日から一日置きに立川の奧の山へかよわなければならなくなっていたので、思わず私の眼から涙があふれた。
「代人《だいにん》では、いけないのでしょうか」
涙がとまらず、すすり泣きになってしまった。
「軍から、あなたに徴用が来たのだから、必ず、本人でなければいけない」
とその男は、強く答えた。
私は行く決心をした。
その翌日は雨で、私たちは立川の山の麓《ふもと》に整列させられ、まず将校のお説教があった。
「戦争には、必ず勝つ」
と冒頭して、
「戦争には必ず勝つが、しかし、皆さんが軍の命令通りに仕事しなければ、作戦に支障を来《きた》し、沖縄のような結果になる。必ず、言われただけの仕事は、やってほしい。それから、この山にも、スパイが這入《はい》っているかも知れないから、お互いに注意すること。皆さんもこれからは、兵隊と同じに、陣地の中へ這入って仕事をするのであるから、陣地の様子は、絶対に、他言《たごん》しないように、充分に注意してほしい」
と言った。
山には雨が煙り、男女とりまぜて五百ちかい隊員が、雨に濡《ぬ》れながら立ってその話を拝聴しているのだ。隊員の中には、国民学校の男生徒女生徒もまじっていて、みな寒そうな泣きべその顔をしていた。
前へ
次へ
全97ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング