のがおいやだったら、私も一緒について行ってあげますよ」
「ひとりで行ったほうが、いいのでしょう?」
「ひとりで行ける? そりゃ、ひとりで行ったほうがいいの」
「ひとりで行くわ」
それからお咲さんは、焼跡の整理を少し手伝って下さった。
整理がすんでから、私はお母さまからお金をいただき、百円紙幣を一枚ずつ美濃紙《みのがみ》に包んで、それぞれの包みに、おわび、と書いた。
まず一ばんに役場へ行った。村長の藤田さんはお留守だったので、受附《うけつけ》の娘さんに紙包を差し出し、
「昨夜は、申しわけない事を致しました。これから、気をつけますから、どうぞおゆるし下さいまし。村長さんに、よろしく」
とお詫びを申し上げた。
それから、警防団長の大内さんのお家へ行き、大内さんがお玄関に出て来られて、私を見て黙って悲しそうに微笑《ほほえ》んでいらして、私は、どうしてだか、急に泣きたくなり、
「ゆうべは、ごめんなさい」
と言うのが、やっとで、いそいでおいとまして、道々、涙があふれて来て、顔がだめになったので、いったんお家へ帰って、洗面所で顔を洗い、お化粧をし直して、また出かけようとして玄関で靴《くつ》をはいていると、お母さまが、出ていらして、
「まだ、どこかへ行くの?」
とおっしゃる。
「ええ、これからよ」
私は顔を挙げないで答えた。
「ご苦労さまね」
しんみりおっしゃった。
お母さまの愛情に力を得て、こんどは一度も泣かずに、全部をまわる事が出来た。
区長さんのお家に行ったら、区長さんはお留守で、息子さんのお嫁さんが出ていらしたが、私を見るなりかえって向うで涙ぐんでおしまいになり、また、巡査のところでは、二宮巡査が、よかった、よかった、とおっしゃってくれるし、みんなお優しいお方たちばかりで、それからご近所のお家を廻って、やはり皆さまから、同情され、なぐさめられた。ただ、前のお家の西山さんのお嫁さん、といっても、もう四十くらいのおばさんだが、そのひとにだけは、びしびし叱《しか》られた。
「これからも気をつけて下さいよ。宮様だか何さまだか知らないけれども、私は前から、あんたたちのままごと遊びみたいな暮し方を、はらはらしながら見ていたんです。子供が二人で暮しているみたいなんだから、いままで火事を起さなかったのが不思議なくらいのものだ。本当にこれからは、気をつけて下さいよ。ゆう
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