いっそ乞食《こじき》になったほうがいい。姉さんこそ、これから、叔父さんによろしくおすがり申し上げるさ」
「私には、……」
涙が出た。
「私には、行くところがあるの」
「縁談? きまってるの?」
「いいえ」
「自活か? はたらく婦人。よせ、よせ」
「自活でもないの。私ね、革命家になるの」
「へえ?」
直治は、へんな顔をして私を見た。
その時、三宅先生の連れていらした附添いの看護婦さんが、私を呼びに来た。
「奥さまが、何かご用のようでございます」
いそいで病室に行って、お蒲団《ふとん》の傍に坐り、
「何?」
と顔を寄せてたずねた。
けれども、お母さまは、何か言いたげにして、黙っていらっしゃる。
「お水?」
とたずねた。
幽《かす》かに首を振る。お水でも無いらしかった。
しばらくして、小さいお声で、
「夢を見たの」
とおっしゃった。
「そう? どんな夢?」
「蛇《へび》の夢」
私は、ぎょっとした。
「お縁側の沓脱石《くつぬぎいし》の上に、赤い縞《しま》のある女の蛇が、いるでしょう。見てごらん」
私はからだの寒くなるような気持で、つと立ってお縁側に出て、ガラス戸越しに、見ると、沓脱石の上に蛇が、秋の陽《ひ》を浴びて長くのびていた。私は、くらくらと目まいした。
私はお前を知っている。お前はあの時から見ると、すこし大きくなって老《ふ》けているけど、でも、私のために卵を焼かれたあの女蛇なのね。お前の復讐《ふくしゅう》は、もう私よく思い知ったから、あちらへお行き。さっさと、向うへ行ってお呉《く》れ。
と心の中で念じて、その蛇を見つめていたが、いっかな蛇は、動こうとしなかった。私はなぜだか、看護婦さんに、その蛇を見られたくなかった。トンと強く足踏みして、
「いませんわ、お母さま。夢なんて、あてになりませんわよ」
とわざと必要以上の大声で言って、ちらと沓脱石のほうを見ると、蛇は、やっと、からだを動かし、だらだらと石から垂れ落ちて行った。
もうだめだ。だめなのだと、その蛇を見て、あきらめが、はじめて私の心の底に湧《わ》いて出た。お父上のお亡くなりになる時にも、枕もとに黒い小さい蛇がいたというし、またあの時に、お庭の木という木に蛇がからみついていたのを、私は見た。
お母さまはお床の上に起き直るお元気もなくなったようで、いつもうつらうつらしていらして、もうお
前へ
次へ
全97ページ中68ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング