直治は相変らずの東京出張で、もう十日あまり帰らない。私ひとりで、心細さのあまり和田の叔父さまへ、お母さまの御様子の変った事を葉書にしたためて知らせてやった。
発熱してかれこれ十日目に、村の先生が、やっと腹工合《はらぐあ》いがよろしくなりましたと言って、診察しにいらした。
先生は、お母さまのお胸を注意深そうな表情で打診なさりながら、
「わかりました、わかりました」
とお叫びになり、それから、また私のほうに真正面に向き直られて、
「お熱の原因が、わかりましてございます。左肺に浸潤を起しています。でも、ご心配は要りません。お熱は、当分つづくでしょうけれども、おしずかにしていらっしゃったら、ご心配はございません」
とおっしゃっる。
そうかしら? と思いながらも、溺《おぼ》れる者の藁《わら》にすがる気持もあって、村の先生のその診断に、私は少しほっとしたところもあった。
お医者がお帰りになってから、
「よかったわね、お母さま。ほんの少しの浸潤なんて、たいていのひとにあるものよ。お気持を丈夫にお持ちになっていさえしたら、わけなくなおってしまいますわ。ことしの夏の季候不順がいけなかったのよ。夏はきらい。かず子は、夏の花も、きらい」
お母さまはお眼をつぶりながらお笑いになり、
「夏の花の好きなひとは、夏に死ぬっていうから、私もことしの夏あたり死ぬのかと思っていたら、直治が帰って来たので、秋まで生きてしまった」
あんな直治でも、やはりお母さまの生きるたのみの柱になっているのか、と思ったら、つらかった。
「それでも、もう夏がすぎてしまったのですから、お母さまの危険期も峠を越したってわけなのね。お母さま、お庭の萩《はぎ》が咲いていますわ。それから、女郎花《おみなえし》、われもこう、桔梗《ききょう》、かるかや、芒《すすき》。お庭がすっかり秋のお庭になりましたわ。十月になったら、きっとお熱も下るでしょう」
私は、それを祈っていた。早くこの九月の、蒸暑い、謂《い》わば残暑の季節が過ぎるといい。そうして、菊が咲いて、うららかな小春|日和《びより》がつづくようになると、きっとお母さまのお熱も下ってお丈夫になり、私もあのひとと逢《あ》えるようになって、私の計画も大輪の菊の花のように見事に咲き誇る事が出来るかも知れないのだ。ああ、早く十月になって、そうしてお母さまのお熱が下るとよい。
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