だり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。
はばむ道徳を、押しのけられませんか?
M・C(マイ、チェホフのイニシャルではないんです。私は、作家にこいしているのではございません。マイ、チャイルド)
五
私は、ことしの夏、或る男のひとに、三つの手紙を差し上げたが、ご返事は無かった。どう考えても、私には、それより他《ほか》に生き方が無いと思われて、三つの手紙に、私のその胸のうちを書きしたため、岬《みさき》の尖端《せんたん》から怒濤《どとう》めがけて飛び下りる気持で、投函《とうかん》したのに、いくら待っても、ご返事が無かった。弟の直治に、それとなくそのひとの御様子を聞いても、そのひとは何の変るところもなく、毎晩お酒を飲み歩き、いよいよ不道徳の作品ばかり書いて、世間のおとなたちに、ひんしゅくせられ、憎まれているらしく、直治に出版業をはじめよ、などとすすめて、直治は大乗気《おおのりき》で、あのひとの他にも二、三、小説家のかたに顧問になってもらい、資本を出してくれるひともあるとかどうとか、直治の話を聞いていると、私の恋しているひとの身のまわりの雰囲気《ふんいき》に、私の匂《にお》いがみじんも滲《し》み込んでいないらしく、私は恥ずかしいという思いよりも、この世の中というものが、私の考えている世の中とは、まるでちがった別な奇妙な生き物みたいな気がして来て、自分ひとりだけ置き去りにされ、呼んでも叫んでも、何の手応《てごた》えの無いたそがれの秋の曠野《こうや》に立たされているような、これまで味わった事のない悽愴《せいそう》の思いに襲われた。これが、失恋というものであろうか。曠野にこうして、ただ立ちつくしているうちに、日がとっぷり暮れて、夜露にこごえて死ぬより他は無いのだろうかと思えば、涙の出ない慟哭《どうこく》
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