談の本なんかもいいのだがねえ。何かないかね。パンセは、ごついし、春夫の詩集は、ちかすぎるし、何かありそうなものだがね。」
「――あるよ。僕のたった一冊の創作集。」
「ひどく荒涼として来たね。」
「はしがきから読みはじめる。うろうろうろうろ読みふける。ただ、ひたすらに、われに救いあれという気持だ。」
「女に亭主があるかね?」
「背中のほうで水の流れるような音がした。ぞっとした。かすかな音であったけれども、脊柱の焼けるような思いがした。女が、しのんで寝返りを打ったのだ。」
「それで、どうした?」
「死のうと言った。女も、――」
「よしたまえ。空想じゃない。」
 客人の推察は、あたっていた。そのあくる日の午後に情死を行った。芸者でもない、画家でもない、私の家に奉公していたまずしき育ちの女なのだ。
 女は寝返りを打ったばかりに殺された。私は死に損ねた。七年たって、私は未だに生きている。



底本:「太宰治全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年8月30日第1刷発行
親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
入力:柴田卓治
校正:鈴木伸吾
1999年8月1日公開
2004年3月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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