私は、ひとりの青年に目をつけた。映画で覚えたのか煙草《たばこ》の吸いかたが、なかなか気取っている。外国の役者の真似にちがいない。小型のトランク一つさげて、改札口を出ると、屹《き》っと片方の眉をあげて、あたりを見廻す。いよいよ役者の真似である。洋服も、襟《えり》が広くおそろしく派手な格子縞《こうしじま》であって、ズボンは、あくまでも長く、首から下は、すぐズボンの観がある。白麻のハンチング、赤皮の短靴、口をきゅっと引きしめて颯爽《さっそう》と歩き出した。あまりに典雅で、滑稽であった。からかってみたくなった。私は、当時退屈し切っていたのである。
「おい、おい、滝谷君。」トランクの名札に滝谷と書かれて在ったから、そう呼んだ。「ちょっと。」
 相手の顔も見ないで、私はぐんぐん先に歩いた。運命的に吸われるように、その青年は、私のあとへ従《つ》いて来た。私は、ひとの心理については多少、自信があったのである。ひとがぼっとしているときには、ただ圧倒的に命令するに限るのである。相手は、意のままである。下手に、自然を装い、理窟《りくつ》を言って相手に理解させ安心させようなどと努力すれば、かえっていけない。
 上野の山へのぼった。ゆっくりゆっくり石の段々を、のぼりながら、
「少しは親爺の気持も、いたわってやったほうが、いいと思うぜ。」
「はあ。」青年は、固くなって返辞した。
 西郷さんの銅像の下には、誰もいなかった。私は立ちどまり、袂《たもと》から煙草を取り出した。マッチの火で、ちらと青年の顔をのぞくと、青年は、まるで子供のような、あどけない表情で、ぶうっと不満そうにふくれて立っているのである。ふびんに思った。からかうのも、もうこの辺でよそうと思った。
「君は、いくつ?」
「二十三です。」ふるさとの訛《なまり》がある。
「若いなあ。」思わず嘆息を発した。「もういいんだ。帰ってもいいんだ。」ただ、君をおどかして見たのさ、と言おうとして、むらむら、も少し、も少しからかいたいな、という浮気に似たときめきを覚えて、
「お金あるかい?」
 もそもそして、「あります。」
「二十円、置いて行け。」私は、可笑《おか》しくてならない。
 出したのである。
「帰っても、いいですか?」
 ばか、冗談だよ、からかってみたのさ、東京は、こんなにこわいところだから、早く国へ帰って親爺に安心させなさい、と私は大笑いして
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