、かなり動揺しているのである。壁に凭《もた》れ、柱に縋《すが》り、きざな千鳥足で船室から出て、船腹の甲板に立った。私は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。きょろきょろしたのである。佐渡は、もうすぐそこに見えている。全島紅葉して、岸の赤土の崖《がけ》は、ざぶりざぶりと波に洗われている。もう、来てしまったのだ。それにしては少し早すぎる。まだ一時間しか経っていない。旅客もすべて落ちついて、まだ船室に寝そべっている。甲板にも、四十年配の男が、二、三人出ているが、一様にのんびり前方の島を眺め、煙草をふかしている。誰も興奮していない。興奮しているのは私だけである。島の岬に、燈台が立っている。もう、来てしまった。けれども、誰も騒がない。空は低く鼠色。雨は、もうやんでいる。島は、甲板から百メートルと離れていない。船は、島の岸に沿うて、平気で進む。私にも、少しわかって来た。つまり船は、この島の陰のほうに廻って、それから碇泊《ていはく》するのだろうと思った。そう思ったら、少し安心した。私は、よろめきながら船尾のほうへ廻ってみた。新潟は、いや日本の内地は、もう見えない。陰鬱な、寒い海だ。水が真黒の感じである。スクリュウに捲き上げられ沸騰《ふっとう》し飛散する騒騒《そうそう》の迸沫《ほうまつ》は、海水の黒の中で、鷲のように鮮やかに感ぜられ、ひろい澪《みお》は、大きい螺旋《ぜんまい》がはじけたように、幾重にも細かい柔軟の波線をひろげている。日本海は墨絵《すみえ》だ、と愚にもつかぬ断案を下して、私は、やや得意になっていた。水底を見て来た顔の小鴨《こがも》かな、つまりその顔であったわけだが、さらに、よろよろ船腹の甲板に帰って来て眼前の無言の島に対しては、その得意の小鴨も、首をひねらざるを得なかった。船も島も、互いに素知らぬ顔をしているのである。島は、船を迎える気色が無い。ただ黙って見送っている。船もまた、その島に何の挨拶もしようとしない。同じ歩調で、すまして行き過ぎようとしているのだ。島の岬の燈台は、みるみる遠く離れて行く。船は平気で進む。島の陰に廻るのかと思って少し安心していたのだが、そうでもないらしい。島は、置きざりにされようとしている。これは、佐渡ヶ島でないのかも知れぬ。小鴨は、大いに狼狽《ろうばい》した。きのう新潟の海岸から、望見したのも、この島だ。
「あれが、佐
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