分《ぷん》でございます。」と答えた。
 私は、あわてた。何が何やら、わからなかった。鞄《かばん》から毛糸の頸巻《くびまき》を取り出し、それを頸にぐるぐる巻いて甲板に出て見た。もう船は、少しも動揺していない。エンジンの音も優しく、静かである。空も、海も、もうすっかり暗くなって、雨が少し降っている。前方の闇を覗《のぞ》くと、なるほど港の灯が、ぱらぱら、二十も三十も見える。夷港にちがいない。甲板には大勢の旅客がちゃんと身仕度をして出て来ている。
「パパ、さっきの島は?」赤いオオヴァを着た十歳くらいの少女が、傍の紳士に尋ねている。私は、人知れず全身の注意を、その会話に集中させた。この家族は、都会の人たちらしい。私と同様に、はじめて佐渡へやって来た人たちに違いない。
「佐渡ですよ。」と父は答えた。
 そうか、と私は少女と共に首肯《うなず》いた。なおよく父の説明を聞こうと思って、私は、そっとその家族のほうへすり寄った。
「パパも、よくわからないのですがね。」と紳士は不安げに言い足した。「つまり島の形が、こんなぐあいに、」と言って両手で島の形を作って見せて、「こんなぐあいになっていて、汽船がここを走っているので、島が二つあるように見えたのでしょう。」
 私は少し背伸びして、その父の手の形を覗いて、ああ、と全く了解した。すべて少女のお陰である。つまり佐渡ヶ島は、「工」の字を倒《さか》さにしたような形で、二つの並行した山脈地帯を低い平野が紐《ひも》で細く結んでいるような状態なのである。大きいほうの山脈地帯は、れいの雲煙模糊の大陸なのである。さきの沈黙の島は、小さいほうの山脈地帯なのである。平野は、低いから全く望見できなかった。そうして、船は、平野の港に到着した。それだけの事なのである。よく出来ていると思った。
 佐渡へ上陸した。格別、内地と変った事は無い。十年ほど前に、北海道へ渡った事があったけれど、上陸第一歩から興奮した。土の踏み心地が、まるっきり違うのである。土の根が、ばかに大きい感じがした。内地の、土と、その地下構造に於いて全然別種のものだと思った。必ずや大陸の続きであろうと断定した。あとで北海道生れの友人に、その事を言ったら、その友人は私の直観に敬服し、そのとおりだ、北海道は津軽海峡に依《よ》って、内地と地質的に分離されているのであって、むしろアジア大陸と地質的に同種なのであ
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