問題にせぬというその人の態度は、全く正しいのである。いつまでも、その態度を持ちつづけてもらいたいと思う。みじめなのは、その雑誌に先生顔して何やら呟《つぶや》きを書いていた太宰という男である。
いっこうに有名でない。この雑誌の読者は、すべてこれから文学を試み、天下に名を成そうという謂《い》わば青雲の志を持って居られる。いささかの卑屈もない。肩を張って蒼穹《そうきゅう》を仰いでいる。傷一つ受けていない。無染である。その人に、太宰という下手《へた》くそな作家の、醜怪に嗄《しわが》れた呟きが、いったい聞えるものかどうか。私の困惑は、ここに在る。
私は今まで、なんのいい小説も書いていない。すべて人真似である。学問はない。未だ三十一歳である。青二歳である。未だ世間を知らぬと言われても致しかたが無い。何も、無い。誇るべきもの何も無いのである。たった一つ、芥子粒《けしつぶ》ほどのプライドがある。それは、私が馬鹿であるということである。全く無益な、路傍の苦労ばかり、それも自ら求めて十年間、転輾《てんてん》して来たということである。けれども、また、考えてみると、それは、読者諸君が、これから文豪になるために、ちっとも必要なことではない。むだな苦労は、避け得られたら、それは避けたほうがよいのである。何事も、聡明《そうめい》に越したことはない。けれども私は、よほど頭がわるく、それにまた身のほど知らぬ自惚《うぬぼ》れもあり、人の制止も聞かばこそ、なに大丈夫、大丈夫だと匹夫《ひっぷ》の勇、泳げもせぬのに深潭《しんたん》に飛び込み、たちまち、あっぷあっぷ、眼もあてられぬ有様であった。そのような愚かな作家が、未来の鴎外、漱石を志しているこの雑誌の読者に、いったい、どんなことを語ればいいのか。実に、困惑するのである。
私は、悪名のほうが、むしろ高い作家なのである。さまざまに曲解せられているようである。けれども、それは、やはり私の至らぬせいであろうと思っている。実に、むずかしいものである。私は、いまは、気永にやって行くつもりでいる。私は頭がわるくて、一時にすべてを解決することは、できぬ。手さぐりで、そろそろ這って歩いて行くより他に仕方がない。長生きしたいと思っている。
そんな情態なので、私は諸君に語るべきもの、一つも持っていない。たったひとつ、芥子粒ほどのプライドがあると、さっき書いたが、あれも
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