繰《つまぐ》っては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉《そうろう》と乗り込むのでした。この愚僧は、たいへんおしゃれで、喫茶店へ行く途中、ふっと、指輪をはめて出るのを忘れて来たことに気がつき、躊躇《ちゅうちょ》なくくるりと廻れ右して家へ引きかえし、そうしてきちんと指輪をはめて、出直し、やあ、お待ちどおさま、と澄ましていました。
私は大学へはいってからは、戸塚の、兄の家のすぐ近くの下宿屋に住み、それでも、お互い勉強の邪魔をせぬよう、三日にいちどか、一週間にいちど顔を合せて、そのときには必ず一緒にまちへ出て、落語を聞いたり、喫茶店をまわって歩いたりして、そのうちに兄は、ささやかな恋をしました。兄は、その粋紳士風の趣味のために、おそろしく気取ってばかりいて、女のひとには、さっぱり好かれないようでした。そのころ高田の馬場の喫茶店に、兄が内心好いている女の子がありましたが、あまり旗色がよくないようで、兄は困って居りました。それでも、兄は誇《プライド》の高いお人でありますから、その女の子に
前へ
次へ
全18ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング