、ちょっと強く言おうと思うと、言われぬ先から、泣きべそをかいて逃げたがるじゃないか。君たちに自信を持ってもらいたくて、愛だの、理解だのと遠廻しに言っているのに、君たちは、それを軽蔑する。君たちが、も少し強かったら、それは安心して叱りとばしてやる事も出来るんだ。君たちさえ、――」
「水掛け論だ。」佐伯は断定を下した。「くだらない。そんな言い古された事を、僕たちは考えているんじゃないよ。しっかりした人間とは、どんなものだか、それを見せてもらいたいんだ。」
「そうですね。」熊本君は、ほっとした顔をして、佐伯の言を支持した。「酒を飲む人の話は、信用出来ませんからね。」と言って、頬に幽《かす》かな憫笑《びんしょう》を浮かべた。
「僕は、だめだ。」そう言って、私には、腹にしみるものが在った。「けれども僕は、絶望していないんだ。酒だって、たまにしか飲まないんだ。冷水摩擦だって、毎日やっているんだ。」自分ながら奇妙と思われたような事を口走って、ふっと眼が熱くなり、うろたえた。
第六回
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「青年よ、若き日のうちに享楽せよ!」
と教えし賢者の言葉のままに、
振舞うた我の愚かさよ。
(悔ゆるともいまは詮なし)
見よ! 次のペエジにその賢者
素知らぬ顔して、記し置きける、
「青春は空《くう》に過ぎず、しかして、
弱冠は、無知に過ぎず。」(フランソワ・ヴィヨン)
[#ここで字下げ終わり]
むかし、フランソワ・ヴィヨンという、巴里《パリ》生まれの気の小さい、弱い男が、「ああ、残念! あの狂おしい青春の頃に、我もし学にいそしみ、風習のよろしき社会にこの身を寄せていたならば、いま頃は家も持ち得て快き寝床もあろうに。ばからしい。悪童の如く学《まな》び舎《や》を叛き去った。いま、そのことを思い出す時、わが胸は、張り裂けるばかりの思いがする!」と、地団駄《じだんだ》踏んで、その遺言書に記してあったようだが、私も、いまは、その痛切な嘆きには一も二も無く共鳴したい。たかが熊本君ごときに、酒を飲む人の話は、信用できませんからね、と憫笑を以て言われても、私には、すぐに撥《は》ね返す言葉が無い。冷水摩擦を毎日やっていると言ってみたところで、それがこの場合、どうなるというものでもない。つまらない事を口走ったものである。けれども私には、それが精一ぱいであったのである。私には
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