な娘さんとが迎えに来ていた。
「あの娘さんは、誰?」と妻は小声で私にたずねた。
「女中だろう? 挨拶《あいさつ》なんか要《い》らない。」去年の夏にも、私はこの娘さんと同じ年恰好の上品な女中を兄の長女かと思い、平伏するほどていねいにお辞儀をしてちょっと具合いの悪い思いをした事があるので、こんどは用心してそう言ったのである。
 小さい姪というのは兄の次女で、これは去年の夏に逢って知っていた。八歳である。
「シゲちゃん。」と私が呼ぶと、シゲちゃんは、こだわり無く笑った。私は少し助かったような気がした。この子だけは、私の過去を知るまい。
 家へはいった。中畑さんと北さんは、すぐに二階の兄の部屋へ行ってしまった。私は妻子と共に仏間へ行って、仏さまを拝んで、それから内輪《うちわ》の客だけが集る「常居《じょい》」という部屋へさがって、その一隅に坐った。長兄の嫂も、次兄の嫂も、笑顔を以て迎えて呉《く》れた。祖母も、女中に手をひかれてやって来た。祖母は八十六歳である。耳が遠くなってしまった様子だが、元気だ。妻は園子にも、お辞儀をさせようとして苦心していたが、園子はてんでお辞儀をしようとせず、ふらふら部屋を歩きまわって、皆をあぶながらせた。
 兄が出て来た。すっと部屋を素通りして、次の間に行ってしまった。顔色も悪く、ぎょっとするほど痩せて、けわしい容貌になっていた。次の間にも母の病気見舞いの客がひとり来ているのだ。兄はそのお客としばらく話をして、やがてその客が帰って行ってから、「常居《じょい》」に来て、私が何も言わぬさきから、
「ああ。」と首肯《うなず》いて畳に手をつき、軽くお辞儀をした。
「いろいろ御心配をかけました。」私は固くなってお辞儀をした。「文治兄さんだ。」と妻に知らせた。
 兄は、妻のお辞儀がはじまらぬうちに、妻に向ってお辞儀をした。私は、はらはらした。お辞儀がすむと、兄はさっさと二階へ行った。
 はてな? と思った。何かあったな、と私は、ひがんだ。この兄は、以前から機嫌の悪い時に限って、このように妙によそよそしく、ていねいにお辞儀をするのである。北さんも中畑さんも、あれっきりまだ二階から降りて来ない。北さん何か失敗したかな? と思ったら急に心細いやら、おそろしいやら、胸がどきんどきんして来た。嫂がニコニコ笑いながら出て来て、
「さあ。」と私たちを促した。私は、ほっとして立ち上った。母に逢える。別段、気まずい事も無く、母との対面がゆるされるのだ。なあんだ。少し心配しすぎた。
 廊下を渡りながら嫂が、
「二、三日前から、お待ちになって、本当に、お待ちになって。」と私たちに言って聞かせた。
 母は離れの十畳間に寝ていた。大きいベッドの上に、枯れた草のようにやつれて寝ていた。けれども意識は、ハッキリしていた。
「よく来た。」と言った。妻が初対面の挨拶をしたら、頭をもたげるようにして、うなずいて見せた。私が園子を抱えて、園子の小さい手を母の痩せた手のひらに押しつけてやったら、母は指を震わせながら握りしめた。枕頭にいた五所川原の叔母は、微笑《ほほえ》みながら涙を拭いていた。
 病室には叔母の他に、看護婦がふたり、それから私の一ばん上の姉、次兄の嫂、親戚のおばあさんなど大勢いた。私たちは隣りの六畳の控えの間に行って、みんなと挨拶を交《かわ》した。修治(私の本名)は、ちっとも変らぬ。少しふとってかえって若くなった、とみんなが言った。園子も、懸念《けねん》していたほど人見知りはせず、誰にでも笑いかけていた。みんな控えの間の、火鉢のまわりに集って、ひそひそ小声で話をはじめて、少しずつ緊張もときほぐれて行った。
「こんどは、ゆっくりして行くんでしょう?」
「さあ、どうだか。去年の夏みたいに、やっぱり二、三時間で、おいとまするような事になるんじゃないかな。北さんのお話では、それがいいという事でした。僕は、なんでも、北さんの言うとおりにしようと思っているのですから。」
「でも、こんなにお母さんが悪いのに、見捨てて帰る事が出来ますか。」
「いずれ、それは、北さんと相談して、――」
「何もそんなに、北さんにこだわる事は無いでしょう。」
「そうもいかない。北さんには、僕は今まで、ずいぶん世話になっているんだから。」
「それは、まあ、そうでしょう。でも、北さんだって、まさか、――」
「いや、だから、北さんに相談してみるというのです。北さんの指図に従っていると間違いないのです。北さんは、まだ兄さんと二階で話をしているようですが、何か、ややこしい事でも起っているんじゃないでしょうか。私たち親子三人、ゆるしも無く、のこのこ乗り込んで、――」
「そんな心配は要《い》らないでしょう。英治さん(次兄の名)だって、あなたにすぐ来いって速達を出したそうじゃないの。」
「それは、いつ
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