めんどうな事もあるでしょうし、ちょっと大儀がるかも知れません。そこは北さんから一つ、女房に説いてやって下さい。私から言ったんじゃ、あいつは愚図々々いうにきまっていますから。」私は妻を部屋へ呼んだ。
 けれども結果は案外であった。北さんが、妻へ母の重態を告げて、ひとめ園子さんを、などと言っているうちに妻は、ぺたりと畳に両手をついて、
「よろしく、お願い致します。」と言った。
 北さんは私のほうに向き直って、
「いつになさいますか?」
 二十七日、という事にきまった。その日は、十月二十日だった。
 それから一週間、妻は仕度《したく》にてんてこ舞いの様子であった。妻の里から妹が手伝いに来た。どうしても、あたらしく買わなければならぬものも色々あった。私は、ほとんど破産しかけた。園子だけは、何も知らずに、家中をヨチヨチ歩きまわっていた。
 二十七日十九時、上野発急行列車。満員だった。私たちは原町まで、五時間ほど立ったままだった。
 ハハイヨイヨワルシ」ダザイイツコクモハヤクオイデマツ」ナカバタ
 北さんは、そんな電報を私に見せた。一足さきに故郷へ帰っていた中畑さんから、けさ北さんの許《もと》に来た電報である。
 翌朝八時、青森に着き、すぐに奥羽線に乗りかえ、川部という駅でまた五所川原《ごしょがわら》行の汽車に乗りかえて、もうその辺から列車の両側は林檎《りんご》畑。ことしは林檎も豊作のようである。
「まあ、綺麗《きれい》。」妻は睡眠不足の少し充血した眼を見張った。「いちど、林檎のみのっているところを、見たいと思っていました。」
 手を伸ばせば取れるほど真近かなところに林檎は赤く光っていた。
 十一時頃、五所川原駅に着いた。中畑さんの娘さんが迎えに来ていた。中畑さんのお家は、この五所川原町に在るのだ。私たちは、その中畑さんのお家で一休みさせてもらって、妻と園子は着換え、それから金木町の生家を訪れようという計画であった。金木町というのは、五所川原から更に津軽鉄道に依《よ》って四十分、北上したところに在るのである。
 私たちは中畑さんのお家で昼食をごちそうになりながら、母の容態《ようだい》をくわしく知らされた。ほとんど危篤《きとく》の状態らしい。
「よく来て下さいました。」中畑さんは、かえって私たちにお礼を言った。「いつ来るか、いつ来るかと気が気じゃなかった。とにかく、これで私も安心
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