。私がもし映画統制局々長(そんな官名があるかどうか知らないが)とか何とかの肩書のある男であったなら、「どうも、なんですねえ、娯楽味を忘れては、なりませんですねえ」などと何の意味も無いような意見を述べても、映画界の幹部たちはひとしく感奮し、ただちに映画界の全従業員を集めて、「実にこの娯楽味を忘れてはなりませぬです」という一場の訓辞をこころみるかも知れないのだから、人の気持って微妙なものだ。
私だって少しは誇りを持っている。自分の書いた文章が、全く読まれないか、あるいはざっと一読の光栄に浴して、そうして、「なんだいこれは」と顔をしかめられるのをハッキリ自覚しながら、それでも一字一字まじめに考え考えして文章を書かなければならぬというのは、つらい話である。むかしの私だったら、この種の原稿の依頼に対しては汗顔平伏して御辞退申し上げるに違いないのであるが、このごろの私は少し変った。日本のために、自分の力の全部を出し切らなければならぬ。小説界と映画界とは、そんなに遠く隔絶せられた世界でもない。小説家としての私の愚見も、あるいは、ひょっとしたら、ひとりの勇敢な映画人に依って支持せられるというような奇
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