経っても何一つ正確に描写する事が出来ない筈です。主観的たれ! 強い一つの主観を持ってすすめ。単純な眼を持て。」
昨年の暮、私は二つの映画を見た。「無法松の一生」とかいうのと、「重慶から来た男」とかいう映画である。そうして、「無法松」はたいへんつまらなかった。「芸術的」という努力は、なんてまあ古いもんだろうと思った。阪妻はヤニングスみたいな熱演で、私は阪妻に同情したが、しかし、いいとは思えなかった。阪妻に対する不満ではない。「無法松」という映画に対する不満である。どこがいいのか、私には、さっぱりわからなかった。傑作意識を捨てなければならぬ。傑作意識というものは、かならず昔のお手本の幻影に迷わされているものである。だからいつまで経っても、古いのである。まるで、それこそ、筋書どおりじゃないか。あまりに、ものほしげで、閉口した。「芸術的」陶酔《とうすい》をやめなければならぬ。始めから終りまで「優秀場面」の連続で、そうして全体が、ぐんなりしている。「重慶から来た男」のほうは、これとは、まるで反対であった。およそ「芸術的」でない。優秀場面なんて一つもない。ひどく皆うろたえて走り廻っている。けれども私には、これが非常に面白かった。決して「傑作」ではない。傑作だの何だのそんな事、まるで忘れて走り廻っている。日本の映画は、進歩したと私はそれを見て思った。こんな映画だったら、半日をつぶしても見に行きたいと思った。昔の傑作をお手本にして作った映画ではないのである。表現したい現実をムキになって追いかけているのである。そのムキなところが、新鮮なのである。書生劇みたいな粗雑なところもある。学芸会みたいな稚拙なところもある。けれども、なんだか、ムキである。あの映画には、いままでの日本の映画に無かった清潔な新しさがあった。いやらしい「芸術的」な装飾をつい失念したから、かえって成功しちゃったのだ。重ねて言う。映画は、「芸術」であってはならぬ。私はまじめに言っているのである。
底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
1975(昭和50)年6月〜1976(昭和51)年6月
初出:「映画評論」
1944(昭和19)年4月1日発行
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年3月17日作成
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