で始めて小説というものを書いたとき、臨終の老人が、あずきかゆ、を食べたいと呟《つぶや》くところの描写をなしたことがある。
 あずきかゆは作られた。それは、お粥《かゆ》にゆで小豆を散らして、塩で風味をつけたものであった。老人の田舎のごちそうであった。眼をつぶって仰向のまま、二|匙《さじ》すすると、もういい、と言った。ほかになにか、と問われ、うす笑いして、遊びたい、と答えた。老人の、ひとのよい無学ではあるが利巧な、若く美しい妻は、居並ぶ近親たちの手前、嫉妬《しっと》でなく頬をあからめ、それから匙を握ったまま声しのばせて泣いたという。

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 ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐《かい》ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まったく一年ぶりで学生服に腕をとおし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鉄の門をくぐった。おそるおそるくぐったのである。すぐに銀杏《いちょう》の並木がある。右側に十本、左側にも十本、いずれも巨木である。葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のようである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化
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