って呑みたかった。ウイスキイが惜しいのだ。それだけだ。
――君は正直だ。可愛い。
――生意気いうな。たかが学生じゃないか。つらにおしろいをぬたくりやがって。
――ところが僕は、易者だということになっている。予言者だよ。驚いたろう。
――酔ったふりなんかするな。手をついてあやまれ。
――僕を理解するには何よりも勇気が要る。いい言葉じゃないか。僕はフリイドリッヒ・ニイチェだ。
私は女給たちのとめて呉れるのを、いまかいまかと待っていた。女給たちはしかし、そろって冷い顔して私の殴られるのを待っていた。そのうちに私は殴られた。右のこぶしが横からぐんと飛んで来たので、私は首筋を素早くすくめた。十間ほどふっとんだ。私の白線の帽子が身がわりになって呉れたのである。私は微笑みつつ、わざとゆっくりその帽子を拾いに歩きはじめた。毎日毎日のみぞれのために、道はとろとろ溶けていた。しゃがんで、泥にまみれた帽子を拾ったとたんに、私は逃げようと考えた。五円たすかる。別のところで、もいちど呑むのだ。私は二あし三あし走った。滑った。仰向にひっくりかえった。踏みつぶされた雨蛙《あまがえる》の姿に似ていたようで
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