う。或る人(決して中畑さんではない)その人から私によこした手紙のような形式になっているのであるが、もちろん之《これ》は事実に於いては根も葉も無いことで、中畑さんはこんな奇妙な手紙など本当に一度だってお書きになった事は無いので、これは全部、私自身が捏造《ねつぞう》した「小説」に過ぎないのだという事は繰りかえし念を押して、左にその一文を紹介しよう。私がどんなに生意気に思い上って、みんなに迷惑をおかけしていたかという事さえ、わかっていただけたらいいのである。
「先日、(二十三日)お母上様のお言いつけにより、お正月用の餅《もち》と塩引《しおびき》、一包、キウリ一|樽《たる》お送り申し上げましたところ、御手紙に依《よ》れば、キウリ不着の趣き御手数ながら御地停車場を御調べ申し御返事|願上候《ねがいあげそうろう》、以上は奥様へ御申伝え下されたく、以下、二三言、私、明けて二十八年間、十六歳の秋より四十四歳の現在まで、津島家出入りの貧しき商人、全く無学の者に候が、御無礼せんえつ、わきまえつつの苦言、いまは延々すべき時に非ずと心得られ候まま、汗顔平伏、お耳につらきこと開陳、暫時、おゆるし被下度《くだされたく》候。噂《うわさ》に依れば、このごろ又々、借銭の悪癖萌え出で、一面識なき名士などにまで、借銭の御申込、しかも犬の如き哀訴歎願、おまけに断絶を食い、てんとして恥じず、借銭どこが悪い、お約束の如くに他日返却すれば、向うさまへも、ごめいわくは無し、こちらも一命たすかる思い、どこがわるい、と先日も、それがために奥様へ火鉢投じて、ガラス戸二枚破損の由《よし》、話、半分としても暗涙とどむる術ございませぬ。貴族院議員、勲二等の御家柄、貴方がた文学者にとっては何も誇るべき筋みちのものに無之《これなく》、古くさきものに相違なしと存じられ候が、お父上おなくなりのちの天地一人のお母上様を思い、私めに顔たてさせ然《しか》るべしと存じ候。『われひとりを悪者として勘当《かんどう》除籍、家郷追放の現在、いよいよわれのみをあしざまにののしり、それがために四方八方うまく治まり居る様子』などのお言葉、おうらめしく存じあげ候。今しばし、お名あがり家ととのうたるのちは、御兄上様御姉上様、何条もってあしざまに申しましょうや。必ずその様の曲解、御無用に被存候。先日も、山木田様へお嫁ぎの菊子姉上様より、しんからのおなげき承《うけたまわ》り、私、芝居のようなれども、政岡の大役をお引き受け申し、きらいのお方なれば、たとえ御主人筋にても、かほどの世話はごめんにて、私のみに非ず、菊子姉上様も、貴方へのお世話のため、御嫁先の立場も困ることあるべしと存じられ候ところも、むりしての御奉仕ゆえ、本日かぎりよそからの借銭は必ず必ず思いとどまるよう、万やむを得ぬ場合は、当方へ御申越|願度《ねがいた》く、でき得る限りの御辛抱ねがいたく、このこと兄上様へ知れると一大事につき、今回の所は私が一時御立替御用立|申上《もうしあげ》候間《そうろうあいだ》A此《こ》の点お含み置かれるよう願上候。重ねて申しあげ候が、私とて、きらいのお方には、かれこれうるさく申し上げませぬ、このことお含みの上、御養生、御自愛、まことに願上候。」
昭和十一年の初夏に、私のはじめての創作集が出版せられて、友人たちは私のためにその祝賀会を、上野の精養軒でひらいてくれた。偶然その三日前に中畑さんは東京へ出て来て、私のところへも立ち寄ってくれた。私は中畑さんに着物をねだった。最上等の麻《あさ》の着物と、縫紋の羽織と夏袴《なつばかま》と、角帯、長襦袢《ながじゅばん》、白足袋《しろたび》、全部そろえて下さいと願ったのだが、中畑さんも当惑の様子であった。とても間に合いません。袴や帯は、すぐにととのえる事も出来ますが、着物や襦袢はこれから柄を見たてて仕立てさせなければいけないのだし、と中畑さんが言うのにおっかぶせて、出来ますよ、出来ますよ、三越かどこかの大きい呉服屋にたのんでごらん、一昼夜で縫ってくれます、裁縫師が十人も二十人もかかって一つの着物を縫うのですから、すぐに出来ます、東京では、なんでも、出来ないって事はないんだ、と、ろくに知りもせぬ事を自信たっぷりで言うのである。とうとう中畑さんも、それではやってみます、と言った。三日目の、その祝賀会の朝、私の注文の品が全部、或《あ》る呉服屋からとどけられた。すべて、上質のものであった。今後あのように上質な着物を着る事は私には永久に無いであろう。私はそれを着て、祝賀会に出席した。羽織は、それを着ると芸人じみるので、惜しかったけれど、着用しなかった。会の翌日、私はその品物全部を質屋へ持って行った。そうして、とうとう流してしまったのである。
この会には、中畑さんと北さんにも是非出席なさるようにすすめたのだが、お二人
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