め、チビリチビリと酒をなめるようにして飲んでいる。
「ごめん下さい。」と玄関で声がする。
「来たな!」屹《き》っと身構えて、この酒飲まれてたまるものか。それ、この瓶は戸棚に隠せ、まだ二目盛残ってあるんだ、あすとあさってのぶんだ、この銚子《ちょうし》にもまだ三猪口《みちょこ》ぶんくらい残っているが、これは寝酒にするんだから、銚子はこのまま、このまま、さわってはいけない、風呂敷でもかぶせて置け、さて、手抜かりは無いか、と部屋中をぎょろりと見まわして、それから急に猫撫声《ねこなでごえ》で、
「どなた?」
ああ、書きながらも嘔吐《おうと》を催す。人間も、こうなっては、既にだめである。浩然之気もへったくれもあったものでない。「月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語して盃出したる、よろずの興を添うるものなり。」などと言っている昔の人の典雅な心境をも少しは学んで、反省するように努めなければならぬ。それほどまでに酒を飲みたいものなのか。夕陽をあかあかと浴びて、汗は滝の如く、髭《ひげ》をはやした立派な男たちが、ビヤホオルの前に行儀よく列を作って、そうして時々、そっと伸びあがってビヤホオルの丸い窓から内部を覗《のぞ》いて、首を振って溜息をついている。なかなか順番がまわって来ないものと見える。内部はまた、いもを洗うような混雑だ。肘《ひじ》と肘とをぶっつけ合い、互いに隣りの客を牽制《けんせい》し、負けず劣らず大声を挙げて、おういビイルを早く、おういビエルなどと東北|訛《なま》りの者もあり、喧々囂々《けんけんごうごう》、やっと一ぱいのビイルにありつき、ほとんど無我夢中で飲み畢《おわ》るや否や、ごめん、とも言わずに、次のお客の色黒く眼の光のただならぬのが自分を椅子から押しのけて割り込んで来るのである。すなわち、呆然《ぼうぜん》として退場しなければならぬ。気を取りなおして、よし、もういちど、と更に戸外の長蛇《ちょうだ》の如き列の末尾について、順番を待つ。これを三度、四度ほど繰り返して、身心共に疲れてぐたりとなり、ああ酔った、と力無く呟《つぶや》いて帰途につくのである。国内に酒が決してそんなに極度に不足しているわけではないと思う。飲む人が此頃《このごろ》多くなったのではないかと私には考えられる。少し不足になったという評判が立ったので、いままで酒を飲んだ事のない人まで、よろしい、いまのうち
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