のです。
その時、客間から、酔っぱらい客の下品な笑い声が、どっと起り、つづいて、
「いや、いや、そうじゃあるまい。たしかに君とあやしいと俺《おれ》はにらんでいる。あのおばさんだって君、……」と、とても聞くに堪《た》えない失礼な、きたない事を、医学の言葉で言いました。
すると、若い今井先生らしい声がそれに答えて、
「何を言ってやがる。俺は愛情でここへ遊びに来ているんじゃないよ。ここはね、単なる宿屋さ。」
私は、むっとして顔を挙げました。
暗い電燈の下で、黙ってうつむいて蒸パンを食べていらっしゃる奥さまの眼に、その時は、さすがに涙が光りました。私はお気の毒のあまり、言葉につまっていましたら、奥さまはうつむきながら静かに、
「ウメちゃん、すまないけどね、あすの朝は、お風呂をわかして下さいね。今井先生は、朝風呂がお好きですから。」
けれども、奥さまが私に口惜《くや》しそうな顔をお見せになったのは、その時くらいのもので、あとはまた何事も無かったように、お客に派手なあいそ笑いをしては、客間とお勝手のあいだを走り狂うのでした。
おからだがいよいよお弱りになっていらっしゃるのが私にはちゃん
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